婉子女王(えんしじょおう/つやこじょおう、天禄3年(972年) - 長徳4年9月17日(998年10月10日)[1])は、平安時代の女性。花山天皇の女御。
為平親王の娘で、母は源高明の娘。寛和元年(984年)より宮に入った。初め天皇の寵愛を受けたが次第に衰え、藤原忯子の死去で再び召されようと欲したが、病に侵され自ら身を引いた[2]。翌年天皇が出家したため、藤原実資に嫁いだ[1]。
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