長徳
改元
[編集]出典
[編集]揚雄の『城門校尉箴』の「唐虞長徳、而四海永懐」より。
長徳期におきた出来事
[編集]王朝政治史上大きな変動があった時期。改元前後に全国を席巻した疫病が起き、ついで中関白藤原道隆の薨去とそれに伴う政争があり、程なくして内大臣藤原伊周・中納言藤原隆家兄弟といった公卿が政変(年号に因み「長徳の変」と称される)によって流されるといった騒動があった。
- 長徳元年(995年)
- 長徳2年(996年)
- 長徳3年(997年)
- 3月25日、藤原詮子の病臥に伴い、恩赦(重大犯罪を含む全ての犯罪者)を行う[1]。
- 6月5日、河内国若江郡(大阪府八尾市・東大阪市)にて、豪族の美努氏の1人で、前淡路掾(さきのあわじのじょう)だった美務兼倫(みぬのかねとも)の家宅に、同族で太皇太后昌子内親王の太皇太后宮職の史生だった[4]美努真遠(みぬのさねとお)の指示の元、前遠江介(さきのとおとうみのすけ)だった美務公忠(みぬのきみただ)を首魁とする武装集団が夜討ちをかけて殺害を目論むも、「若江郡使」であった源訪(みなもとのたずぬ)など郎等たちの加勢もあって未遂に終わる。後日、兼倫は都の検非違使に訴え出て、告発状は『前淡路掾美努兼倫解(さきのあわじのじょうみぬのかねともげ)』として『三条家本北山抄裏文書』に現存している[5]。
- 長徳4年(998年)
西暦との対照表
[編集]※は小の月を示す。
長徳元年(乙未) | 一月※ | 二月 | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ | |
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ユリウス暦 | 995/2/3 | 3/4 | 4/3 | 5/3 | 6/1 | 7/1 | 7/30 | 8/29 | 9/27 | 10/27 | 11/25 | 12/25 | |
長徳二年(丙申) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 閏七月 | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ |
ユリウス暦 | 996/1/23 | 2/22 | 3/22 | 4/21 | 5/20 | 6/19 | 7/18 | 8/17 | 9/16 | 10/15 | 11/14 | 12/13 | 997/1/12 |
長徳三年(丁酉) | 一月 | 二月※ | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月 | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月※ | 十二月 | |
ユリウス暦 | 997/2/10 | 3/12 | 4/10 | 5/9 | 6/8 | 7/7 | 8/6 | 9/5 | 10/5 | 11/3 | 12/3 | 998/1/1 | |
長徳四年(戊戌) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月 | 十二月※ | |
ユリウス暦 | 998/1/31 | 3/1 | 3/31 | 4/29 | 5/28 | 6/27 | 7/26 | 8/25 | 9/24 | 10/23 | 11/22 | 12/22 | |
長徳五年(己亥) | 一月 | 二月※ | 三月 | 閏三月※ | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月 | 十一月 | 十二月※ |
ユリウス暦 | 999/1/20 | 2/19 | 3/20 | 4/19 | 5/18 | 6/16 | 7/16 | 8/14 | 9/13 | 10/12 | 11/11 | 12/11 | 1000/1/10 |
脚注
[編集]- ^ a b c 『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』、2020年10月発行、繁田信一、文藝春秋、P37
- ^ 『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』、2020年10月発行、繁田信一、文藝春秋、P38
- ^ 『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』、2020年10月発行、繁田信一、文藝春秋、P3782
- ^ 『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』、2020年10月発行、繁田信一、文藝春秋、P46
- ^ 『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』、2020年10月発行、繁田信一、文藝春秋、P18~P36
- ^ 『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』、2020年10月発行、繁田信一、文藝春秋、P163~P179