宝塚市歌
宝塚市歌 | |
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作詞 | 西川好次郎 |
作曲 | 酒井協 |
採用時期 | 1954年4月1日[1] |
言語 | 日本語 |
「宝塚市歌」(たからづかしか)は、兵庫県宝塚市が制定した市歌である。作詞・西川好次郎、作曲・酒井協。
解説
[編集]1954年(昭和29年)4月1日に川辺郡宝塚町と武庫郡良元村が合併し、宝塚市が発足したことを記念し当日に市章と併せて制定されたものである[1]。歌詞は市章のデザインと並行して懸賞募集により集まった226篇から和歌山県日高郡美山村(現在の日高川町)在住で6年前に「和歌山県民歌」入選歴のあるの西川好次郎による応募作を採用とし[2]、宝塚歌劇団理事の酒井協に作曲が依頼された。酒井は兵庫県内でいずれも宝塚市と同年の市制施行と同時に制定された川西市および三木市、高砂市でも市歌を作曲している[3]。初演奏は4月21日の市制祝賀式で、宝塚音楽学校の生徒50名により斉唱された[4]。
制定から10年余りは市内の行事で盛んに演奏されたが1970年代以降は演奏の機会が減少し、宝塚歌劇団愛唱歌「すみれの花咲く頃」の方が「宝塚代表の歌」と認識されるような状態であった[5]。
楽譜の散逸と復元
[編集]映像外部リンク | |
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手話で宝塚市歌を表現 - YouTube(宝塚市公式) |
2009年(平成21年)、大阪市から宝塚市へ転居したアマチュア合唱団指導者の男性が会合で市歌の斉唱を指揮したところ、制定当時の旋律と著しく異なっていることを不審に思い市役所から提供を受けた楽譜を検証した結果、多数の誤記が確認された[6]。
制定当時の楽譜は神戸新聞の1954年(昭和22年)4月10日付7面[7]、同年に市役所が発行した広報誌の5月号(創刊号)などに単旋律のものが掲載されているが[6]、作曲者自筆の原本は紛失状態であり楽譜の読み方に関する知識の乏しい職員が転写を繰り返している内に作曲当時は「メゾフォルテ(やや強く)」とされていた指示が「メゾピアノ(やや弱く)」と逆の意味になっていたり、音符が全て一音低くされるなどの改変が加えられていることが判明した[6]。市では過去に市歌がレコード化された際の編曲を担当した中元清純から協力を得て制定当時の楽譜を復元すると共に、宝塚市立中央図書館が2005年(平成17年)に発行した『宝塚大事典』掲載の楽譜を訂正している[6]。
2010年代には市役所の仕事始めや4月の「誓いの日」に市歌の斉唱が行われるようになったのをはじめ、2014年(平成26年)からはごみ収集車が従来の「赤とんぼ」に代わり市歌を演奏するようになった。2017年(平成29年)には、前年に市議会で成立した手話言語条例に基づき手話版の市歌が作成されている[8]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 中山裕一郎 2012, p. 304.
- ^ 「“輝く都うるわしや” 新生宝塚の市章・市歌決る」『神戸新聞』1954年3月26日、7面。
- ^ 「宝塚歌劇 隠れた名作曲家 戦前、初の海外公演支える」『神戸新聞』2013年7月6日。オリジナルの2016年3月7日時点におけるアーカイブ。2024年5月7日閲覧。
- ^ 「ヅカの生徒が市歌を合唱 宝塚の祝賀会」『神戸新聞』1954年4月22日、7面。
- ^ 川端道春 1977, p. 176.
- ^ a b c d 「「宝塚市歌」楽譜が変だ!」『朝日新聞』2009年12月27日、阪神版、22面。
- ^ 「宝塚市歌の作曲なる 市章も市会で正式決定」『神戸新聞』1954年4月10日、7面。
- ^ 中島摩子 (2017年11月15日). “「宝塚市歌」手話で歌おう 発表会に向け事前学習会”. 兵庫おでかけプラス (神戸新聞社) 2024年5月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 川端道春『宝塚の風土記 民話と伝説・地名のおこり』川瀬書店、1977年8月。 NCID BA33137208
- 宝塚市大事典編集委員会 編『宝塚市大事典』宝塚市、2005年。 NCID BA74291424
- 中山裕一郎 監修『全国都道府県の歌・市の歌』東京堂出版、2012年12月。ISBN 978-4-490-20803-0。
関連項目
[編集]- 兵庫県の市町村歌一覧
- 御坊市歌 - 和歌山県御坊市の市歌。宝塚市と同年に西川好次郎の作詞で制定された。