宮崎村 (愛知県額田郡)
みやざきむら 宮崎村 | |
---|---|
岡崎市役所の宮崎出張所として使用されていた宮崎村役場(2011年4月撮影)。現在は廃止された。 | |
廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 | 新設合併 豊富村、宮崎村、形埜村、下山村(一部) → 額田町 |
現在の自治体 | 岡崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 額田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 58.67 km2. |
総人口 | 2,898人 (愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 豊川市、額田郡豊富村、形埜村、宝飯郡音羽町、一宮村、南設楽郡作手村 |
宮崎村役場 | |
所在地 | 愛知県額田郡宮崎村大字亀穴字庚申澤西33 |
座標 | 北緯34度56分14秒 東経137度21分37秒 / 北緯34.93711度 東経137.36019度座標: 北緯34度56分14秒 東経137度21分37秒 / 北緯34.93711度 東経137.36019度 |
ウィキプロジェクト |
宮崎村(みやざきむら)は、かつて愛知県額田郡にあった村である。
額田町の北東部に該当し現在の岡崎市の北東部の宮崎町、中金町、明見町、大代町、石原町、東河原町、雨山町などに該当する。
沿革
[編集]- 江戸時代末期、この地域は岡崎藩領、西大平藩領、天領、旗本領、寺社領であった。
- 1878年(明治11年) - 河辺村と栃原村が合併し、河原村となる。
- 1889年(明治22年)10月1日
- 1890年(明治23年)12月17日 - 巴山村が改称し、栄枝村となる[注釈 1]。
- 1906年(明治39年)5月1日 - 栄枝村の一部[注釈 2]と宮崎村が合併し、改めて宮崎村が発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 豊富村、宮崎村、形埜村、下山村の一部[注釈 3]が合併し、額田町となる。
学校
[編集]- 宮崎村立宮崎中学校
- 宮崎村立大雨河小学校
- (→1956年に額田町立雨河小学校→2006年に岡崎市立大雨河小学校→2010年に岡崎市立宮崎小学校に統合)
- 宮崎村立千万町小学校
- (→1956年に額田町立千万町小学校→2006年に岡崎市立千万町小学校→2010年に岡崎市立宮崎小学校に統合)
- 宮崎村立宮崎小学校
- (→1956年に額田町立宮崎小学校→2006年に岡崎市立宮崎小学校)
寺社
[編集]神社
[編集]寺院
[編集]- 傳正院(明見)
- 少林寺(明見)
- 林端寺(宮崎)
- 聞桂寺(宮崎)
- 端雲寺(石原)
- 法林寺(中金)
- 正泉寺(大代)
- 高雲寺(河原)
- 財泉寺(河原)
- 菩提院(雨山)
- 東向寺(木下)