宮沢清作
宮沢 清作(みやざわ せいさく、1878年(明治11年)4月21日[1] - 1939年(昭和14年)3月14日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士、判事。
経歴
[編集]宮城県宮城郡多賀城村(現在の多賀城市)に、宮沢清右衛門の五男として生まれる。1904年に日本大学を卒業し、判事検事登用試験に合格した。司法官試補を経て、盛岡地方裁判所、宇都宮地方裁判所、栃木区裁判所、仙台区裁判所、仙台地方裁判所で判事を歴任した。やがて退官して弁護士となり、仙台弁護士会副会長を務めた。
県会議員を経て、1931年の衆議院補欠選挙に当選[3]。以後、第18回・第19回総選挙で当選し、1937年にも補欠当選した[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。