富山貨物駅
富山貨物駅 | |
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駅舎(2008年6月) | |
とやまかもつ Toyama Kamotsu | |
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所在地 | 富山県富山市下赤江中摺15 |
所属事業者 | 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所属路線 | ■あいの風とやま鉄道線 |
キロ程 | km |
電報略号 | トカ |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1987年(昭和62年)3月31日 |
備考 | 貨物専用駅 |
富山貨物駅(とやまかもつえき)は、富山県富山市上赤江中摺にある日本貨物鉄道の貨物駅である。あいの風とやま鉄道線に所属する。
富山操車場跡地に、1990年に開設された駅。着発線荷役方式(E&S方式)を導入している[1]。
歴史
[編集]- 1940年(昭和15年)4月:東岩瀬臨海工業地帯造成事業の開始に伴い、富山 - 東岩瀬間に操車場を建設する計画が浮上する[2]。
- 1943年(昭和18年)7月:富山 - 東岩瀬間に32.3万m2の敷地を買収し、操車場の建設を開始する[2]。この頃、操車場建設に供する土砂運搬のために、常願寺川左岸河川敷まで国土交通省立山砂防工事専用軌道と同様に軌間約610粍の人車軌道が敷設された[3]。ただし、戦時のため1944年(昭和19年)に至り工事は中断する[2][4]。
- 1948年(昭和23年)12月24日:富山県議会が富山操車場設置促進に関する意見書を採択する[5]。
- 1954年(昭和29年)より再び着工する[4]。
- 1955年(昭和30年)10月1日:国鉄北陸本線の富山操車場として開設[6](当時は鍋田操車場とも呼んでいた[7])。その一部利用を開始する[7]。この時点での操車能力は、1日に400輌であった[8]。
- 1956年(昭和31年)
- 1958年(昭和33年)
- 1960年(昭和35年)12月3日:富山操車場において貨物列車操車中に三重衝突の事故が発生し、3輌顚覆、8輌脱線の被害があったが、死傷者はなかった[8]。
- 1963年(昭和38年)1月19日:三八豪雪により当操車場の機能の全部が停止状態に陥る[13]。
- 1965年(昭和40年)7月30日:富山操車場 - 東富山駅間が複線化する[10]。
- 1970年(昭和45年)
- 1984年(昭和59年)1月31日:ハンプ作業を廃止する[13]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:東富山駅 - 富山操車場 - 蓮町駅間の貨物支線が廃止[14]。廃線跡は富山市市道城川原豊田線などに転用されている[12]。
- 1987年(昭和62年)
- 1990年(平成2年)3月10日:富山駅より貨物取扱業務を移管して、富山貨物駅に改称する[6]。営業範囲を改正してコンテナ貨物及び車扱貨物の取扱を開始する[6]。これに合せて1面1線の着発線荷役ホーム、仕訳線9線、解結線8線、コンテナホーム3面、車扱ホーム1面、散水消雪装置、融雪装置等を整備する[9]。
- 2014年(平成26年)6月17日:富山 - 東富山間に開設される予定の新駅が、当駅北側の下冨居地内に決定する[17]。
- 2015年(平成27年)3月14日:北陸新幹線長野 - 金沢間開業に伴い、北陸本線のうち倶利伽羅 - 富山 - 市振間があいの風とやま鉄道線となる。
駅構造
[編集]本線は、ほぼ南北方向に敷設されている。側線や設備は、すべてその東側に設置されている。
着発線が本線に沿って5本あり、本線側から上り1番線・2番線・3番線・4番線と続き、5本目が上り5番線である[18]。上り5番線は荷役線となっており、コンテナホームに接している[18]。着発線の北側(東富山方面)からは引き上げ線が分岐し、そこから機関車待避線や解結線、貨物積卸線が分岐している[18]。
コンテナホーム(ヤード)は2面設置されており、着発線や貨1・2番線が接するホームは西側、貨4番線が接するホームは東側にある。貨1番線が接する部分は切欠式となり、その東隣を貨2番線が通っている[18]。ホームの南方に、営業窓口のJR貨物富山営業支店が入る駅舎が置かれている[18]。
駅構内の南方(富山方面)には、JR貨物富山機関区やJR西日本金沢総合車両所富山支所、あいの風とやま鉄道運転管理センターが、構内の北方には貨車検修場がある[18]。
取扱貨物
[編集]- コンテナ貨物
- オフレールステーション (ORS) である魚津ORS・青海ORSとの間にトラック便が設定されており、コンテナの中継駅となっている[18]。
- 産業廃棄物・特別管理産業廃棄物の取り扱い許可を得ている[19]。
利用状況
[編集]当駅における各年度の貨物発着状況は次の通りである(単位はトン)[20]。
年度 | 発送 | 一日平均発送 | 到着 | 一日平均到着 |
---|---|---|---|---|
2004年(平成16年) | 110,820 | 304 | 130,935 | 359 |
2005年(平成17年) | 117,369 | 322 | 152,834 | 419 |
2006年(平成18年) | 123,320 | 338 | 156,393 | 428 |
2007年(平成19年) | 126,371 | 346 | 153,065 | 419 |
2008年(平成20年) | 124,230 | 340 | 149,416 | 409 |
2009年(平成21年) | 112,568 | 308 | 145,385 | 398 |
2010年(平成22年) | 116,628 | 320 | 160,097 | 439 |
2011年(平成23年) | 126,275 | 346 | 149,307 | 409 |
2012年(平成24年) | 122,352 | 335 | 134,292 | 368 |
2013年(平成25年) | 125,943 | 345 | 122,301 | 335 |
2014年(平成26年) | 126,954 | 348 | 120,043 | 329 |
2015年(平成27年) | 137,270 | 376 | 123,073 | 337 |
2016年(平成28年) | 131,675 | 361 | 110,236 | 302 |
駅周辺
[編集]隣の駅
[編集]- 日本貨物鉄道(JR貨物)
- あいの風とやま鉄道線
脚注
[編集]- ^ 「E&S方式採用、JR高岡貨物駅開業 発着本数1日8本」、『朝日新聞』2002年(平成14年)12月2日、朝日新聞社
- ^ a b c 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編、『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』、2006年(平成18年)5月、TC出版
- ^ 「続々新庄町史」編纂委員会編、『続々新庄町史 前編』、2010年(平成22年)3月、新庄校下ふるさとづくり推進協議会及び新庄校下自治振興会
- ^ a b 高橋憲治、「富山操車場の新設について」、『交通技術』第11巻9号所収、1956年(昭和31年)9月、交通協力会
- ^ 富山県編、『富山県史年表』、1987年(昭和62年)3月、富山県
- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、139頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c 富山市史編修委員会、『富山市史』第三巻、1960年(昭和35年)4月、富山市役所
- ^ a b c 富山市編、『富山市史』第4巻、1969年(昭和44年)12月、富山市
- ^ a b c 日本貨物鉄道株式会社貨物鉄道百三十年史編纂委員会編、『貨物鉄道百三十年史(下巻)』、2007年(平成19年)6月、日本貨物鉄道株式会社
- ^ a b c 日本国有鉄道編、『日本国有鉄道百年史年表』、1972年(昭和47年)10月、日本国有鉄道
- ^ 昭和33年4月7日日本国有鉄道公示第111号(『官報』9385号、昭和33年4月7日、大蔵省印刷局)に「昭和33年4月10日から北陸本線富山・東富山間(富山操車場)から分岐し、富山港線蓮町停車場に至る鉄道において、貨物運輸営業を開始する。同鉄道経由東富山・蓮町間の営業キロ程は8.5キロメートルとする」とある。
- ^ a b c d 豊田校下自治振興会編、『豊田郷土史』、2003年(平成15年)9月、豊田校下自治振興会
- ^ a b c d e 広田郷土史編纂委員会編、『広田郷土史』、1996年(平成8年)7月、広田校下自治振興会
- ^ 昭和61年10月30日日本国有鉄道公示第138号(『官報』第17914号、昭和61年10月30日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和62年2月28日日本国有鉄道公示第250号(『官報』、1987年(昭和62年)2月28日、大蔵省印刷局)
- ^ 石村治郎、「富山駅周辺鉄道整備と土地利用計画」、『日本鉄道施設協会誌』第32巻4号所収、1994年(平成6年)4月、日本鉄道施設協会
- ^ 並行在来線富山-東富山間の新駅設置場所決まる - 2014年(平成26年)6月18日、北日本新聞(2016年(平成28年)8月9日閲覧)
- ^ a b c d e f g h 川島令三編、『中部ライン 全線・全駅・全配線第7巻 富山・糸魚川・黒部エリア』、2010年(平成22年)10月、講談社
- ^ 2016年(平成28年)度JR貨物時刻表 - JR貨物(2016年(平成28年)8月16日閲覧)
- ^ 富山市統計書 - 富山市