山内豊秋
山内 豊秋 | |
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1933年、陸士本科卒業時 | |
生誕 | 1912年6月19日 日本 高知県高知市 |
死没 | 2003年9月29日(91歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1933年 - 1945年 |
最終階級 | 中佐(陸軍) |
除隊後 | 山内家宗家第18代当主 |
山内 豊秋(やまうち とよあき、1912年(明治45年)6月19日 - 2003年(平成15年)9月29日)は、日本の陸軍軍人、神職。山内家宗家第18代当主。山内興業社長、テレビ高知副会長、靖国神社崇敬奉賛会初代会長。妻は黒田光子(黒田長禮侯爵息女)。
来歴
[編集]- 1912年(明治45年)6月 - 男爵山内豊静の次男として高知市にて誕生。のちに侯爵山内豊景の養子となる。
- 1919年(大正8年)4月、学習院初等科に入学。
- 1926年(大正15年)4月、陸軍幼年学校(第30期)に入学。
- 1929年(昭和4年)4月、陸軍士官学校予科に入学。
- 1933年(昭和8年)7月、陸軍士官学校本科を卒業(第45期)。卒業序列は皇族(孚彦王)・公族(李鍝公)を除いて11番/335名。10月、任歩兵少尉、近衛歩兵第1聯隊附。
- 1935年(昭和10年)10月、任歩兵中尉。
- 1937年(昭和12年)11月、陸軍大学校学生。
- 1938年(昭和13年)3月、任歩兵大尉。
- 1939年(昭和14年)8月、11月、陸軍大学校(第52期)卒業。
- 1941年(昭和16年)3月、参謀本部部員。大本営陸軍部付。同年8月、大本営陸軍参謀第2部第6課(南方班)。10月、任少佐(1940年、兵科撤廃)。
- 1942年(昭和17年)5月、一木支隊派遣幕僚。8月、第17軍参謀。
- 1944年(昭和19年)5月、第36軍参謀。10月、防衛総司令部参謀。
- 1945年(昭和20年)3月、東京湾兵団参謀。6月、任中佐。10月、復員。
- 1957年(昭和32年)1月、義父:山内豊景の逝去により山内家宗家当主を継承。
- 1968年(昭和43年)7月、明治維新百年・板垣退助50回忌記念式典に際し、板垣退助先生顕彰会最高顧問に就任[1][2]。
- 1998年(平成10年)、靖国神社崇敬奉賛会初代会長に就任[3]。
- 2003年(平成15年)9月29日、91歳にて没。宗家当主は長男豊功が継承した。
家族
[編集]参考文献
[編集]外部リンク
[編集]“追憶のガダルカナル戦 山内豊秋”. 高知六幼会 (2006年8月15日). 2011年5月26日閲覧。
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