山田貴志
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 岐阜県岐阜市[1][2] |
生年月日 | 1974年5月11日(50歳) |
身長 体重 | 183 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト5位 |
初出場 | 1997年7月27日 |
最終出場 | 1998年4月22日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について |
山田 貴志(やまだ たかし、1974年5月11日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)[1][2]。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]岐阜市立本荘小学校、岐阜市立本荘中学校を経て東邦高等学校に進学した[3][4]。東邦高校では在学中に野球部が3度の甲子園出場を果たしているが、2年時の1991年春の選抜大会ではベンチに入れず、夏の甲子園ではベンチ入りするも、背番号15の控え投手だった[5]。3年時の1992年の夏の甲子園ではエースとして[6]、チームをベスト4に導いた[7]。同大会では投球回36イニング1/3、防御率1.24を記録した[1]。
高校卒業後は東北福祉大学に進学し[3]、硬式野球部に入部した。大学時代は1年上にプロ入り後もチームメイトとなる門倉健がおり[3]、同期の小野公誠とバッテリーを組む。大学4年生だった1996年春季の仙台六大学リーグでは7回コールドゲームの参考記録ながら[7]、対宮城教育大学戦で完全試合を達成。リーグ戦では通算13試合に登板し、7勝0敗の成績を残した。また、同年の第27回明治神宮野球大会では決勝戦で川上憲伸、橿渕聡、筒井壮を擁する明治大学に敗れたが[8]、準優勝を果たした。
プロ野球選手時代
[編集]1996年11月21日に開催されたNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから5位指名を受けた[7][9][2]。本人は同会議前、地元球団である中日から指名されることを希望していたという[7]。同年12月3日、契約金5000万円+出来高払い3000万円、年俸1000万円で中日と仮契約を締結した[10]。背番号は29に決まり、入団発表にあたっては大学の先輩である門倉に追いつくことを目標として掲げていた[11]。
入団1年目の1997年は、7月27日にナゴヤドームで開催された対読売ジャイアンツ(巨人)戦で一軍(セントラル・リーグ)公式戦初登板を果たした[4]。同年は一軍公式戦で4試合に登板し、投球回6回1/3、0勝0敗、防御率2.84の成績だった[12]。このうち8月2日の対ヤクルトスワローズ戦では最長となる3イニングを投げた[12]。また二軍(ウエスタン・リーグ)では12試合に登板して5勝1敗、1セーブ、投球回41、被安打50、与四死球18、奪三振22、失点19、自責点19、防御率4.17の成績で[13]、翌シーズンの一軍定着が期待された[12]。同年11月14日には年俸960万円(前年比40万円減額)で契約更改した[14]。
しかし2年目の1998年は一軍では2試合に登板したのみで[15]、0勝0敗、打者21、投球回3イニング1/3、被安打9、被本塁打4、奪三振1、与四球1、失点7、自責点7、防御率18.90の成績に終わった[16]。同年初登板となった4月21日の対ヤクルト4回戦(明治神宮野球場)では大量リードで迎えた9回裏に4番手投手として登板し、1イニングを投げて5打数1被安打1与四球ながら無失点に抑え、チームも14対3で大勝したが[17]、翌22日の対ヤクルト5回戦では先発投手の今中慎二が1回裏に2死を取っただけで7失点を喫して降板したことを受け、2死の場面で2番手投手として登板したものの、この1回だけで1番打者・飯田哲也に3点本塁打、続く2番打者・真中満に1点本塁打、そして6番打者・池山隆寛に3点本塁打を被弾し、チームはこの回だけでNPBタイ記録となる1イニング13失点、NPBワースト記録となる1イニング10連続被安打を記録した[18]。さらに2回には8番打者・度会博文に2号1点本塁打を被弾し、最終的には2回1/3イニングを投げて被本塁打4、自責点7を記録、この大量失点が響いてチームも6対15で大敗した[18]。翌23日付で出場選手登録を抹消され[19]、それ以降は一軍での登板機会はなく、同シーズンの二軍における成績は20試合登板、0完投、0勝0敗、1セーブ、打者166、投球回37イニング1/3、被安打45、被本塁打2、与四球9、与死球3、奪三振18、失点24、自責点15、防御率3.62だった[20]。同年10月19日に球団から戦力外通告を言い渡され[15][21]、同年限りで現役を引退した[22]。
選手としての特徴
[編集]プロ入り時は本格派投手と評され[3]、最高球速143 km/hの速球に加え、本人が「最も自信がある」と語っていたスライダー、シュート、カーブが持ち球とされていた[7]。またプロ入り後には大学の先輩であり、フォークボールを習得して1年目から活躍した門倉と同様、落ちる変化球を習得したいと語っていた[3]。
強心臓と言われ、1998年時点で中日の総合コーチを務めていた福田功からは、かつて西武ライオンズで活躍した東尾修のようなムードがあると評されていた[4]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 中日 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 27 | 6.1 | 7 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2.84 | 1.58 |
1998 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 21 | 3.1 | 9 | 4 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 7 | 18.90 | 3.30 | |
通算:2年 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 48 | 9.2 | 16 | 5 | 5 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 9 | 9 | 8.38 | 2.17 |
記録
[編集]- 初登板:1997年7月27日、対読売ジャイアンツ17回戦(ナゴヤドーム)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:1997年8月2日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、6回裏に秦真司から
背番号
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 「'97プロ野球 12球団全選手百科名鑑 No.21」『ホームラン』第21巻第4号、日本スポーツ出版社、1997年3月31日、40頁。 - 通巻:第225号。1997年3月号増刊。
- ^ a b c 『中日新聞』1996年11月22日朝刊岐阜総合面「【岐阜県】プロへの夢現実に ドラフト指名 県内から3選手」(中日新聞社)
- ^ a b c d e f 『中日ドラゴンズ '97ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、1997年3月18日、54頁。ISBN 978-4806203360。
- ^ a b c d 中日ドラゴンズ 1998, p. 79.
- ^ 『ホームラン』2016年9月号臨時増刊「歴代春夏甲子園メンバー表大特集」(廣済堂出版)p.54-55
- ^ 『中日新聞』1992年8月25日朝刊県内版14頁「【愛知県】全国高校野球選手権 燃え尽きた東邦の夏 「森尾君はすごい」 看板の打線沈黙 完敗認めるナイン」「力投悔いなし山田君 バトンタッチ、投の二本柱 「結果出せず残念」 水谷君」(中日新聞社)
- ^ a b c d e 『中日新聞』1996年11月22日朝刊運動2面32頁「プロ野球ドラフト会議 門倉先輩めざす 5位・山田 「地元、うれしい」」(中日新聞社)
- ^ 『中日新聞』1996年11月20日朝刊運動2面24頁「明治神宮野球 最終日 明大が連覇 高校は上宮初V」(中日新聞社)
- ^ 『中日新聞』1996年11月22日朝刊市民版22頁「【愛知県】ドラフト会議 プロ野球で活躍するぞ」(中日新聞社)
- ^ 『中日新聞』1996年12月4日朝刊運動1面24頁「中日5位指名 山田貴と仮契約」(中日新聞社) - 縮刷版162頁。
- ^ 『中日新聞』1996年12月18日朝刊第12版運動1面22頁「4球団がルーキー入団発表 若竜8人 舞台はドームだ 『2年後、球速160キロ』小山意欲」(中日新聞社) - 縮刷版772頁。
- ^ a b c 「'98プロ野球 12球団全選手百科名鑑 No.22」『ホームラン』第22巻第4号、日本スポーツ出版社、1998年3月31日、96頁。 - 通巻:第236号。1998年3月号増刊。
- ^ 中日ドラゴンズ 1998, p. 127.
- ^ 『中日新聞』1997年11月15日朝刊運動1面33頁「プロ野球契約更改【中日】小山は現状維持で」(中日新聞社)
- ^ a b 『中日新聞』1998年10月20日朝刊運動1面21頁「プロ野球短信【中日】山田貴に戦力外通告」(中日新聞社)
- ^ 『中日ドラゴンズ '99ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、1999年3月17日、132頁。ISBN 978-4806203834。
- ^ 『中日新聞』1998年4月22日朝刊第12版21頁「セ・リーグ 第4節 21日 ゴメス4号 中日14-3ヤクルト 神宮・夜(16,000人) 竜16安打の猛攻 立浪、3回今季1号 〝関川効果〟燃えた」「球心 序盤で連続タイムリー」(栗田秀之)(中日新聞社) - 縮刷版945頁。
- ^ a b 『中日新聞』1998年4月23日朝刊第12版26頁「セ・リーグ 第4節 21日 ヤクルト連敗6でストップ 中日6-15ヤクルト 神宮・夜(20,000人) 竜一転大敗 ツバメ返し 初回13点 プロ野球タイ記録」「10安打連続 プロ野球新」「球心 今中 復活遠し 制球難狙われ 闘争心も消え」(西沢智宏)(中日新聞社) - 縮刷版990頁。
- ^ 『中日新聞』1998年4月24日朝刊第12版27頁「セ・リーグ公示(23日)」(中日新聞社) - 縮刷版1035頁。
- ^ ベースボール・レコード・ブック 1998, p. 676.
- ^ ベースボール・レコード・ブック 1998, p. 67.
- ^ 『昇竜の軌跡 中日ドラゴンズ70年』206号、ベースボール・マガジン社、2007年1月1日、159頁。 - 『週刊ベースボール』別冊冬季号。2007年1月1日発行。第34巻第1号(通巻:第206号)。
参考文献
[編集]- 『中日ドラゴンズ '98ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、1998年3月12日。ISBN 978-4806203599。
- 『1999 ベースボール・レコード・ブック』(第1版第1刷発行)ベースボール・マガジン社〈日本プロ野球記録年鑑〉、1998年12月25日。ISBN 978-4583045412。 NCID BN06200347。国立国会図書館書誌ID:000002686913・全国書誌番号:98078201。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 山田貴志 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)