岡部桂一郎
岡部 桂一郎(おかべ けいいちろう、1915年(大正4年)4月3日[1] - 2012年(平成24年)11月28日)は歌人。
経歴
[編集]兵庫県神戸市生まれ。神戸尋常小学校、関西学院中等部を経て、熊本薬学専門学校(現熊本大学薬学部)卒業[2]。
1937年(昭和12年)、山下陸奥の歌誌「一路」入会。1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)にかけて、作歌を中断。1947年(昭和22年)、上京し国立習志野病院の薬局長として勤務。1948年(昭和23年)、「一路」を退会し、山形義雄、芝山永治らと「工人」を創刊[3]。1950年(昭和25年)、金子一秋、葛原繁、三木あや、山崎一郎らとともに「泥の会」の活動を開始[4]。1954年(昭和29年)、山崎方代らと同人誌「黄」を創刊。1971年(昭和46年)、玉城徹、片山貞美、山崎一郎、山崎方代と同人誌「寒暑」を創刊。いわゆる短歌結社に依らず、活動を行っていた。
2012年(平成24年)11月28日、死去[5]。97歳没。没後、歌稿、創作ノートなどは、夫人・岡部由紀子によって神奈川近代文学館に収められる[6][7]。
受賞歴
[編集]- 1994年(平成6年) 作品「冬」にて第30回短歌研究賞
- 2003年(平成15年) 歌集『一点鐘』にて第37回迢空賞および第18回詩歌文学館賞
- 2004年(平成16年) 旭日小綬章[8]
- 2008年(平成20年) 歌集『竹叢』にて第59回読売文学賞
著書
[編集]- 歌集『緑の墓』 白玉書房、1956年
- 歌集『木星』 木馬社、1969年
- 選集『鳴滝』 短歌新聞社〈現代歌人叢書〉、1981年
- 歌集『戸塚閑吟集』 不識書院、1988年
- 歌集『一点鐘』 青磁社、2002年
- 『岡部桂一郎全歌集 1956-2007』(未刊歌集『竹叢』を収録) 青磁社、2007年
- 歌集『坂』 青磁社、2014年
関連文献
[編集]- 「岡部桂一郎氏インタビュー 動かざる樹の沈黙-戸塚の谷に根ざして」『横浜歌人会会報』第100号、2011年2月
- 岡部および妻・由紀子へのインタビュー。岡部自身のことはもちろん、同時代の歌壇のようすについても語られている。
脚注
[編集]- ^ 『鳴滝』所収の「略年譜」によれば、戸籍には4月1日と届けられた。
- ^ 中学5年のとき、高野山大学に入学しようとしたが断念。(「略年譜」『鳴滝』短歌新聞社、1981年)
- ^ 後に、山崎方代、笠原伸夫、倉持正夫が加わる。
- ^ その後、1958年(昭和33年)11月に同人誌「泥」が創刊される。創刊号には、岡部のほか、市井三郎、伊藤麟、片山貞美、金子一秋、簡四郎、草柳繁一、葛原繁、杉本三木雄、竹花忍、東村金之助、深作光貞、三木あや、宮田信次、森比左志、山崎一郎、山崎方代の16名が参加している。
- ^ “歌人の岡部桂一郎さん死去…読売文学賞受賞”. 読売新聞. 2012年11月29日閲覧。
- ^ 「神奈川近代文学館」『文芸年鑑2015』(新潮社、2015年)
- ^ 由紀子は桂一郎の生前には歌集をまとめることはなかったが、没後2014年、『父の独楽』(不識書院)を上梓し、筑紫歌壇賞を受賞した。(“加藤英彦「夢の約束~岡部由紀子のうたによせて」(月のコラム*こゆるぎ通信 - 2015/10/06)”. 砂子屋書房. 2016年10月6日閲覧。[リンク切れ])
- ^ “平成16年春の叙勲 旭日小綬章等受章者 神奈川県” (PDF). 内閣府. p. 1 (2004年4月29日). 2004年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月17日閲覧。