岸野牧夫
岸野牧夫 きしの まきお | |
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生年月日 | 1882年1月1日 |
出生地 | 日本 徳島県三好郡芝生村 (現徳島県三好市) |
没年月日 | 1962年4月1日(80歳没) |
所属政党 | (無所属→) 緑風会 |
選挙区 | 徳島県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年5月3日 - 1947年7月2日 |
第32・33代 徳島県会議長 | |
在任期間 | 1937年12月2日 - 1939年9月30日 1939年10月23日 - 1943年11月26日 |
在任期間 | 1935年10月25日 - 1937年12月2日 |
在任期間 | 1923年 - 1947年 |
三好郡会議員 |
岸野 牧夫(きしの まきお、1882年(明治15年)1月1日[1] – 1962年(昭和37年)4月21日[1][2])は、大正から昭和期の政治家。参議院議員、徳島県会議長。
経歴
[編集]徳島県[2]三好郡芝生村(三野村、三野町芝生[1]を経て現三好市)で、岸野藤三郎の長男として生まれる[1][3]。県立中学校を卒業した[2]。一年志願兵として入隊し陸軍中尉に昇進し、のちに帝国在郷軍人会三好郡聯合分会長を務めた[1]。
三好郡会議員を経て[1]、1923年(大正12年)徳島県会議員に選出され24年間在任し、この間、参事会員、副議長を務め[4]、1937年(昭和12年)[注 1]県会議長[4][2]に就任した[1]。この間、大政翼賛会徳島県支部顧問などを務めた[3]。
1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に徳島県地方区から出馬して当選し(補欠、任期3年)[1][2][5]緑風会に所属したが[2]、公職追放となり[6]任期途中の同年7月2日に辞職し[7]、参議院議員に1期在任した[2]。
その他、徳島県物価協議会議長、徳島県森林組合会長などを務めた[2]。
脚註
[編集]注釈
[編集]- ^ 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』徳島2頁では昭和14年9月。