川上清志
川上 清志(かわかみ きよし、1897年(明治30年)4月21日[1][2] - 1944年(昭和19年)12月8日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]鹿児島県出身[1][2][3]。川辺中学校(現鹿児島県立川辺高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)7月、陸軍士官学校(30期)を卒業[1][2][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第44連隊付となる[1][3]。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を優等で卒業した[1][2][3]。
1929年(昭和4年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員(作戦班)、ドイツ駐在、ルーマニア駐在、歩兵第23連隊大隊長、参謀本部員(戦史課)などを務め、1937年(昭和12年)8月、兵科を航空兵に転科し航空兵中佐に進んだ[1]。 同月、上海派遣軍参謀(作戦主任)に発令され日中戦争に出征[1][2][3]。大本営参謀、浜松陸軍飛行学校教官を務め、1939年(昭和14年)3月、航空兵大佐に昇進した[1][3]。
1939年8月、第2飛行集団司令部付となり満州に赴任[1][3]。飛行第32戦隊長、陸大教官、第2飛行集団参謀長、第2飛行師団参謀長、第2航空軍参謀副長を歴任し、1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進んだ[1][2][3]。第2航空軍参謀長、浜松教導飛行師団長を経て、1944年(昭和19年)11月、第3航空軍参謀長に転じたが、同年12月、マレーで墜死し陸軍中将に進級した[1][2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。