広瀬勝滋
広瀬 勝滋(ひろせ かつしげ、1884年(明治17年)3月20日[1] – 1958年(昭和33年)3月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。群馬県桐生市長。
経歴
[編集]大分県出身。1905年(明治38年)に陸軍士官学校を卒業し、工兵少尉に任官した[1]。工兵第18大隊長、東部第42部隊長、桐生高等工業学校配属将校、秋田連隊区司令官などを歴任し、1942年(昭和17年)に陸軍少将に昇進した[2]。
桐生高等工業学校の配属将校であった縁から1944年(昭和19年)に桐生市長に選出され、翌年まで在任した[2]。
市長辞職後、公職追放でいったん桐生を去るが[3]、再び桐生を訪れて当時の前原一治市長に「庁内の掃除でもやらせてくれないか」と持ち出した。前原は清掃監督なるポストを設けて雇ったが、広瀬は過去の栄光を断ち切って黙々と職務に励んだという[4]。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 日本陸軍将官辞典 2001.
- ^ a b 日本の歴代市長 第1巻 p.648 1983.
- ^ 公職追放の該当事項は「翼賛桐生市」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、121頁。NDLJP:1276156。 )
- ^ “桐生倶楽部 第162号” (PDF). 社団法人桐生倶楽部. 2016年10月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 総理庁官房監査課『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。