張陽
張 陽 | |
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生誕 | 1950年8月 中国 河北省武強県 |
死没 | 2017年11月23日 (67歳没) 中華人民共和国 北京市 |
所属組織 | 中国人民解放軍陸軍 |
軍歴 | 1968年 - 2017年 |
最終階級 | 上将 |
張陽 | |
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職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 張陽 |
簡体字: | 张阳 |
拼音: | Zhāng Yáng |
和名表記: | ちょう よう |
発音転記: | ジャン ヤン |
張 陽(ちょう よう、1950年8月 - 2017年11月23日)は、中華人民共和国の軍人。階級は上将。
広州軍区政治委員、中国共産党中央軍事委員会委員、国家中央軍事委員会委員、中国人民解放軍総政治部主任、中央軍委政治工作部主任を歴任。胡錦濤派として知られ、続く習近平政権の“お目付け役”として期待されていたとする見方がある[1]。
経歴
[編集]出身地は河北省武強県[2]。国防大学基本係、中国共産党党校行政管理専門を卒業[2]。
1996年、第163師団政治委員に任命。2000年、広州軍区第42軍集団政治部主任に任命され、2002に軍集団政治委員に昇格する[2]。
2003年2月28日、全国人民代表大会代表に選出された。
2004年12月、広州軍区政治部主任[2]、および中国共産党広州軍区委員会常務委員に任命。
2006年7月、中将に昇格。
2007年9月、広州軍区政治委員[2]、および党広州軍区委員会書記に任命。
2007年10月、第17回党大会において中央委員会委員に選出された[3]。2010年7月、上将に昇格[2]。
2012年10月、中国人民解放軍総政治部主任に任命。
2012年11月、第18回党大会において中央委員会委員に選出され[4]、11月15日の第18期党中央委員会第1回総会において党中央軍事委員会委員に再選出された[5]。
2013年2月、解放軍代表として第12期全人代代表に選出され[6]、3月15日の第12期全人代第1回会議において中華人民共和国中央軍事委員会委員に選出された[7]。
2016年1月、総政治部が改組されて党中央軍事委員会政治工作部が新設され、引き続き政治工作部主任に任命された[2]。
2017年8月30日、郭伯雄・徐才厚関連の規律違反の疑いにより拘束される[8]。同年11月23日に自宅で首吊り自殺を図り死亡した[9][10]。
2018年10月16日、中共中央は張の党籍を剥奪すると決定した[11]。
脚注
[編集]- ^ 中国軍元高官が自殺 規律違反で調査中 習氏の軍掌握影響も 産経ニュース 2017年11月28日
- ^ a b c d e f g “原総政治部主任張陽上将任新組建的軍委政治工作部主任” (中国語). 澎湃新聞. (2016年1月11日)
- ^ 中国共产党第十七届中央委员会委员名单
- ^ 中国共产党第十八届中央委员会委员名单
- ^ 中国共产党第十八届中央委员会第一次全体会议公报
- ^ 全国人民代表大会常务委员会公告〔十一届〕第四十七号
- ^ 中华人民共和国全国人民代表大会公告[十二届]第四号
- ^ “中国、胡錦濤派の軍首脳2人を拘束 規律違反の疑いで”. 産経ニュース. (2017年9月1日)
- ^ “张阳自杀身亡”. 新华网. (2017年11月28日) 2017年11月28日閲覧。
- ^ “中国で軍の前政治工作トップが自殺=汚職で調査中”. 時事通信. (2017年11月28日) 2017年11月28日閲覧。
- ^ 中共中央决定给予房峰辉、张阳开除党籍处分
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