憲兵警察制度 (朝鮮総督府)
憲兵警察制度(けんぺいけいさつせいど)とは、朝鮮総督府が採用した朝鮮総督府警察の制度で、陸軍の憲兵が一般の警察をも兼ねる制度。
概要
[編集]朝鮮独立運動の武装蜂起が続いており、一般の警察だけでは治安の維持が難しかったので、ヨーロッパの国家憲兵の制度を参考に創設された。
一般警察と憲兵が同一の地域に混在していたわけではなく、フランスの国家憲兵隊(ジャンダルムリ)のように担当の地域が決まっていた。
軍警の地域分担は、おおむね以下の通りであった。
- 一般警察 - 鉄道沿線、港、都市部
- 憲兵 - 軍事上枢要の地、国境、一般警察が整備されていない地域
韓国併合年で「憲兵警察」と「一般警察」を合わせた人数は、7712名(その内、朝鮮人は4440名)。うち「憲兵警察」は2019名(その内、憲兵補助員としての朝鮮人が1012名)であった[1]。
1919年(大正8年)の三・一独立運動後、朝鮮総督府の「武断統治」に批判が高まったこと、また日本の警察制度としては異例の形態であったことから、まもなく廃止された。
憲兵部隊
[編集]1915年(大正4年)時点
- 京城憲兵隊(京畿道)
- 京城第一憲兵分隊、京城第二憲兵分隊、龍山憲兵分隊、龍仁憲兵分隊、驪州憲兵分隊、楊州憲兵分隊、開城憲兵分隊
- 春川憲兵隊(江原道)
- 春川憲兵分隊、原州憲兵分隊、寧越憲兵分隊、蔚珍憲兵分隊、三陟憲兵分隊、麟蹄憲兵分隊、杆城憲兵分隊、淮陽憲兵分隊、金化憲兵分隊、鉄原憲兵分隊
- 清州憲兵隊(忠清北道)
- 清州憲兵分隊、沃川憲兵分隊、鎮川憲兵分隊、忠州憲兵分隊
- 公州憲兵隊(忠清南道)
- 大田憲兵分隊、天安憲兵分隊、礼山憲兵分隊、扶余憲兵分隊
- 全州憲兵隊(全羅北道)
- 裡里憲兵分隊、井邑憲兵分隊、南原憲兵分隊、錦山憲兵分隊
- 光州憲兵隊(全羅南道)
- 長城憲兵分隊、栄山浦憲兵分隊、長興憲兵分隊、順天憲兵分隊、和順憲兵分隊
- 大邱憲兵隊(慶尚北道)
- 倭館憲兵分隊、金泉憲兵分隊、尚州憲兵分隊、栄州憲兵分隊、浦項憲兵分隊
- 晋州憲兵隊(慶尚南道)
- 泗川憲兵分隊、居昌憲兵分隊、鎮海憲兵分隊、釜山憲兵分隊
- 平壌憲兵隊(平安南道)
- 平壌憲兵分隊、成川憲兵分隊、寧遠憲兵分隊、徳川憲兵分隊、安州憲兵分隊
- 義州憲兵隊(平安北道)
- 義州憲兵分隊、定州憲兵分隊、熙川憲兵分隊、楚山憲兵分隊、江界憲兵分隊、厚昌憲兵分隊、中江憲兵分隊
- 海州憲兵隊(黄海道)
- 海州憲兵分隊、延安憲兵分隊、新幕憲兵分隊、谷山憲兵分隊、遂安憲兵分隊、載寧憲兵分隊、松禾憲兵分隊
- 咸興憲兵隊(咸鏡南道)
- 咸興憲兵分隊、高原憲兵分隊、元山憲兵分隊、北青憲兵分隊、端川憲兵分隊、甲山憲兵分隊、恵山鎮憲兵分隊、長津憲兵分隊
- 鏡城憲兵隊(咸鏡北道)
- 羅南憲兵分隊、富寧憲兵分隊、茂山憲兵分隊、吉州憲兵分隊、慶源憲兵分隊、会寧憲兵分隊、慶興憲兵分隊
参照
[編集]- ^ 水田直昌監修『統監府時代の財政』122頁