懿粛貴妃(いしゅくきひ、? - 1117年)は、北宋の徽宗の貴妃。姓は王氏。なお、徽宗には他にも王姓の貴妃がおり、大王貴妃・小王貴妃と呼んで区別されるが、『宋史』ではこの3人が混同されている。
出身については記録がない。崇寧3年(1104年)9月、平昌郡君の位を授けられた。その後、才人、美人、婕妤となり、嬪に進み、貴妃にいたった。政和7年(1117年)9月に死去し、「懿粛」と諡された。