趙 金児(ちょう きんじ、1113年 - 1127年4月18日)は、北宋の徽宗の第24皇女(夭逝を除いて第13皇女)。
懿粛貴妃王氏の四女として生まれた。政和5年(1115年)9月11日、賢福帝姫の位を授けられた。
靖康の変で金軍に拉致され、金の天会5年2月28日(1127年4月18日)、劉家寺の軍基地に死去した。3月24日、開封に帰葬された。諡は沖懿。