改井秀雄
改井秀雄 かい ひでお | |
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生年月日 | 1919年7月10日 |
出生地 | 富山県 |
没年月日 | 1983年3月31日(63歳没) |
死没地 | 石川県金沢市 |
出身校 | 拓殖大学商学部 |
前職 | 富山県職員 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1971年3月15日 - 1983年3月31日 |
富山県議会議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1963年 - 1969年 |
改井 秀雄(かい ひでお、1919年(大正8年)7月10日[1] - 1983年(昭和58年)3月31日[1])は、昭和期の地方公務員、労働運動家、政治家。1971年から1983年まで富山県富山市長(4期)を務めた。
来歴
[編集]富山県出身[1]。1943年(昭和18年)拓殖大学商学部卒業[1]後、富山県庁に入庁し、同県職組委員長、全日本自治団体労働組合富山県本部委員長などを歴任[1]。富山県議会議員(日本社会党公認、1963年から2期)をへて[1]、1969年(昭和44年)の県知事選に挑戦するも落選(当選は自民党公認で新人の中田幸吉)。
その後、1971年(昭和46年)2月に行われた富山市長選挙にて、社共統一候補として立候補し初当選[1]。1983年(昭和58年)2月の市長選では社会党、民社党、共産党の推薦と公明党の支持を得て、自民党公認の新人を破り4選を果たす[1]。
しかし、4選直後の1983年3月31日、急性肝不全により石川県金沢市の金沢大付属病院で死去。63歳。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
関連項目
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