新田昌次
新田 昌次(にった しょうじ、1890年(明治23年)10月[1] - 1948年(昭和23年)2月7日[2])は、日本の実業家。日本工業革製品統制社長[1]。新田化学工業取締役[1]。新田帯革製造所(現ニッタ)、新田ベニヤ製造所各無限責任社員[3]。父は新田帯革製造所創業者の新田長次郎。族籍は大阪府平民[4]。
人物
[編集]大阪府大阪市出身。新田長次郎の四男[1][3]、あるいは三男[4]。新田宗一、新田長三の弟[1][3]。新田愛祐の兄[1][3]。慶應義塾大学理財科卒業[2]。帯皮革製造業を営む[4]。1923年、分家した[1][3]。1948年死去。宗教は真言宗[1][3]。大阪府在籍で、住所は大阪市住吉区帝塚山中[1][3]、同市浪速区久保吉[4]。
家族・親族
[編集]- 新田家
→詳細は「新田長次郎 § 家族・親族」を参照
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第14版 下』ニ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月4日閲覧。
- ^ a b 『松山商科大学三十年史』松山商科大学創立三十周年史編集委員会、1953年、p.236。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第13版 下』ニ9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第7版』に7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月4日閲覧。
- ^ 『財界家系図』282 - 283頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『財界家系図』人事興信所、1956年。