日本人

日本人
総人口
日本の旗 日本に居住する日本人
121,051,719人[1]
日本国外に居住する日本人(日本国籍)
1,293,565人(うち長期滞在者は718,838人、永住者は574,727人)[2]
日系人(日本以外の国に移住し、当該国の国籍または永住権を取得した日本人とその子孫)
約4,000,000人
(日本人人口の3%程度)
約3,800,000人(2017年現在、海外日系人協会による推計)
[3]
居住地域
先住地
日本列島日本の旗 日本
大規模な移民[注 1]
ブラジルの旗 ブラジル2,000,000人[5][6][7][8][9]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国1,404,286人[10]
中華人民共和国の旗 中華人民共和国140,134人[11]
フィリピンの旗 フィリピン120,000人[12][13]
カナダの旗 カナダ109,740人[14]
ペルーの旗 ペルー100,000人[15]
オーストラリアの旗 オーストラリア71,013人[16]
イギリスの旗 イギリス63,017人[17]
タイ王国の旗 タイ45,805人[16]
ドイツの旗 ドイツ36,960人[16]
アルゼンチンの旗 アルゼンチン34,000人[18]
フランスの旗 フランス30,947人[16]
大韓民国の旗 韓国28,320人[16]
シンガポールの旗 シンガポール23,000人[19]
香港の旗 香港21,297人[11]
中華民国の旗 中華民国20,373人[16]
ミクロネシア連邦の旗 ミクロネシア連邦20,000人[20]
メキシコの旗 メキシコ20,000人[21]
パラグアイの旗 パラグアイ16,000人[22]
ボリビアの旗 ボリビア14,000人[23]
ニュージーランドの旗 ニュージーランド13,447人[16]
イタリアの旗 イタリア12,156人[16]
インドネシアの旗 インドネシア11,263人[16]
 ベトナム9,468人[16]
マレーシアの旗 マレーシア9,142人[16]
スイスの旗 スイス8,499人[16]
バングラデシュの旗 バングラデシュ8,114人[24]
ニューカレドニアの旗 ニューカレドニア8,000人[25]
スペインの旗 スペイン7,046人[16]
オランダの旗 オランダ6,616人[16]
ベルギーの旗 ベルギー6,519人[16]
言語
日琉語族日本語琉球諸語)、アイヌ語
宗教
伝統的に神道仏教大乗仏教日本の仏教)など

日本人(にほんじん、にっぽんじん、: Japanese people)とは、日本国国籍を有する[26]や、日本列島に居住する民族[27]集団またはその構成員を指す名称である。より詳しい定義については、定義の章を参照。

本記事では、現代の日本国民の歴史的主体となっている民族の起源、形成、特徴に関する事柄を中心に解説を展開する。

定義

法律上の定義

日本国内の法律によると、「日本人」とは、日本国籍を持つ人のことを指し、その対義語は「外国人」である(国籍法第4条)。「日本国民」ともいう。

日本国籍は原則として血統主義に従っている。ただし、許可制の帰化制度も存在する。

民族集団として

他方、日本人という語は、日本列島に起源を持つ下記の民族集団(エスニック集団)に分類される出自および言語・文化を有する人、あるいはそのように見なされる人の呼称でもある。

  • 大和民族狭義の日本民族
  • 琉球民族(大和民族の支族と分類する考え方と大和民族に類した別個の集団とみなす考え方がある)
  • アイヌ民族(日本列島北部の集団)
  • 日本民族(広義の日本民族):上記集団(大和、琉球、アイヌ)の集合体としての民族(一方で、「日本民族」は日本国民の総体から成る「民族」、すなわち政治的共同体のネーション[注 2]を指すもう一つの意味をも持っている)

もっとも、大和、琉球、アイヌの3人類集団の遺伝的近縁性が判明している[28]。また、同集団間の混合は相当程度に進んでいる。さらに、日本国内では、上記の民族を系譜に持つほとんどの人々は現在、言語や生活様式、習慣などのうえで、大和民族の文化への同化の流れをうけて互いに非常に似ている。例えば孤立した言語であるアイヌ語の母語話者は、ごく僅かな人数、あるいは消滅したと推定されている。

したがって、文化的相違を込めた意味での著しい民族性の違いが残っている場合はむしろ例外的である。一方で、ルーツの違いを込めた意味での民族性の違いを意識する人もいる。

なお、新大陸などへ移民した日本人の子孫のうち、日本語をはじめ日本の民族に特有な文化のほとんどを引き継いでいない人に対しても日本人という呼称が使われることがある。ただし、日本語では、一般に日系人と呼ばれている。

アイデンティティとして

日本人なる集団の境界線を日本への所属・帰属に係る意識すなわちアイデンティティ(同一性)に求めることができる。そのアイデンティティ集団は、以下のように民族的同一性文化的同一性国民的同一性の各観点別に分析できるが、各集合が大いに重なっているため、曖昧な認識を抱える人が多い。

  • 上記日本の民族を自らのアイデンティティとする人。
  • 日本語母語とするなど、日本の文化文明を自らのアイデンティティとする人。
  • 特定の文化・歴史を有する共同体である「日本国民」を自らのアイデンティティとする人。

概要

名称

美称

前者は日本男性、後者は日本女性を指す。武士道武芸、日本的道徳教養芸術和裁日本料理の技能などを備えていることの誉め言葉としてよく使われる。国際スポーツ大会で活躍した日本チーム・選手は、20世紀末からは「サムライ○○」と呼ばれるようになった。(例)サムライブルーサムライジャパン

他の言語

アイヌ語で、アイヌ人以外の日本人を、「自分のそば」「隣人」という意味のシサム(またはシャモ)という。琉球語(琉球方言)では、日本の古称である「大和」に由来する大和人(ヤマトンチュ)や、「内地の者」を意味するナイチャーという呼称が見られる。それ以外の言語では、おおむね「漢語の日本の現地発音、ジパングに類似した固有名詞」+「国民、住民を表す接頭語、接尾語」で表現される。

概史

日本民族(先述)は、人種的にモンゴロイドの一つ。旧石器時代または縄文時代以来、現在の北海道から沖縄諸島までの地域に住んだ集団を祖先に持つ[29]。祖先はユーラシア大陸東部より複数回にわたって渡来。樺太を経由して北海道に至る北方ルート、朝鮮半島を経由する北西ルート[注 3]南西諸島などを経由する南方ルート[注 4]など複数の渡来経路が考えられる[注 5]。大陸出身の集団がヤマト(日本国の旧称)に帰化した古墳時代までは相当の規模の渡来があった可能性があるが、本州以南、同時代の末から江戸時代までの長い期間は、大量移民による、民族の相違が現れるほどの変化は一切なかった。

また、近現代における人の国際的な移動に伴い、日本人(日本国籍者、以下この段落で同じ)の中に、海外にルーツを持つ者も含まれている。主な事例として、親の一人が外国人であるケースや帰化者のケースがある。この現象は、在日コリアンの帰化やバブル期以降の外国人流入の増加を背景に、戦後から顕著になった。ただし、総人口に比して有意の現象であることは必ずしも言えず、かつ、混血と文化的同化の影響で、海外ルーツの人々が日本民族に溶け込んでいることも珍しくない。2024年(令和6年)の時点で日本人の民族的構成が明治期よりはやや多様になったと考えられるが、他国と比較するとき、日本国民が明らかに多民族的になったという証拠はない。詳しくは、外国系日本人の節を参照。

先住民

日本列島全体の歴史的先住民は縄文人である。地域等によって程度の差はあれど、以後発展した日本列島のどの民族も縄文人の血を引いている。

日本列島には蝦夷(えみし)や隼人(はやと)などの集団が居住していたが、ヤマト王権成立後は同化が進み、これらの集団が大和民族と呼ばれるようになった。詳しくは、民族としての形成についての節を参照。

いっぽう、ヤマト王権の統治が及ばない北海道の蝦夷は、その文化を続縄文から擦文に発展させたのち、樺太(サハリン島)から渡来した、異質な文化を抱えるオホーツク人と混血した。アイヌは、擦文・オホーツクの文化が融合して12世紀~13世紀に形成された民族である。日本政府はアイヌを「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族」と認識している。アイヌ文化の振興等を目指している2019年のアイヌ施策推進法[31](平成31年法律)に基づいて、公的な資金がアイヌ政策事業へ本格的に投入され始めた。アイヌ民族が法律で先住民に認められた背景として、1950年代半ばより米国などで始まった先住民族の権利のをめぐる各国での活動の広がりと、明治期以降行われた同化政策を否定的に捉える歴史観がある[32]

大和民族については、本州、四国、九州などの先住民であることが自明の史実だとして、大和民族の先住性を政府があえて公認する動機が少ない。

日本国籍の在り方

日本国籍は、親から子が受け継ぐという血統主義に基づいて定められている。そのため、出生時に父または母が日本国民であるとき、もしくは出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であったとき、生来的に日本国籍を得る。手続き上は、出生届提出後、親の日本戸籍へ記録されると日本国民として認められる。ほかにも、日本国民によって認知された子の国籍の取得のための届出(国籍法第3条)や、国籍再取得のための届出(同法第17条)といった届出をもって、血統主義に基づいた国籍取得の手続きを行う場合がある。

もっとも、血統主義に対する例外もある。その一つは出生地主義的な国籍取得である。それは、父母が知れない場合(棄児など)または国籍を有しない場合に適用されるが、実際、極めてまれである。加えて、日本国籍を有しない者が日本への帰化を志望したときは、日本国籍が与えられることがある。しかし、その制度は、あくまでも許可制であり(法務大臣許可)、日本生まれだったり日本人配偶者を持ったりするといった、帰化できる権利が認めまれているわけではない。

さらに、日本に特別の功労のある外国人に対して、日本政府が一方的に日本国籍を与えるいわゆる「大帰化」の規定も存在するが、実際には適用されたことが一度もない。

なお、原則として日本は重国籍を認めていないため、ほとんどの日本国民は単一国籍保持者である。

国籍および居住地に基づく日本人の人口

日本国籍を有する人々として定義される日本人のうち、2021年(令和3年)3月1日時点で、日本に住む者は122,948,477人[33]であるいっぽう、2019年10月1日時点で、海外に住む者は1,357,724人[34]となっており、日本人のうち約1%が海外に居住している。このように国籍により定義される日本人人口は、帰化した者の数、帰化以外の方法で日本国籍を取得した者の数、国籍法第13条の規定により国籍離脱をする者の数、戸籍法第103条または同法第105条により国籍喪失した旨届出または報告があった者の数によっても増減する[35]。2020年における年間帰化者数は9,079人、国籍取得者数は772人、国籍離脱者数は705人、国籍喪失者数は891人である[35]

言語

日本人の大半が日本語を話すほか、沖縄県では琉球語(琉球方言、沖縄口、ウチナーグチ)がかつて話されていたが、伝統的な方言はほとんど衰退し、日本語の沖縄方言である沖縄大和口(ウチナーヤマトグチ)が知られるようになっている(新方言)。本来、琉球語を個別言語とするか日本語の方言とするかで議論があり、琉球語の下位方言をさらに独立した言語とする場合もある。これらの言語・方言は「日本語族」あるいは「日琉語族」という語族に属している。アイヌ語は、母語として使用できる話者の数が極めて少なくなっている。アイヌ語は孤立言語である。

日本語族の起源については、孤立した語族とする説は支配的である。日本語は、膠着語であり、助詞モーラ高低アクセントなどの特徴を持っている。漢文の影響で、シナ語派由来の多くの字音語(漢語)が使われている。また、近現代以降は、英語など欧州の言語を中心に外国語から多くの語彙を借用している(外来語)。

言語社会学的に見ると、一部の日本人は明治以来、外国語を美化する感情から日本語に対する自己否定的な姿勢を持っており、甚だしくは英語やフランス語のような外国語を日本の国語として採用してはどうかという意見を持つ有識者(森有礼志賀直哉尾崎行雄)まで現れていた[36]。日本人の言語である日本語は大日本帝国の時期、アジア大陸・太平洋に広く伝わった。

宗教

日本在住の外国人を含んだ宗教信者数は、2018年平成30年)時点の日本の宗教法人に対する文化庁の宗教統計調査では、神道系が約8,721万人、仏教系が約8,433万人、キリスト教系が約192万人、その他約785万人、合計1億8,131万人と日本の人口の約1.5倍になっている[37]。いっぽう、読売新聞が2008年(平成20年)に行った全国有権者へのアンケート調査では、「何らかの宗教を信じている」と答えた人の割合は26.1%、「何らかの宗教を信じていない」と答えた人の割合は71.9%という結果だった[38]河合隼雄は『対話する生と死』の中で、「日本人は宗教を毛嫌いしたり無宗教であることを公言する人が他国に比較し多いことを指摘し、キリスト教イスラム教信者の信仰心は日本人の想像を超えるものである」と述べている。また、「日本では戦時中に宗教が国家権力と結びつき悪用されたことやもともと日本人は日常生活の中に、宗教性を入れ込んで生きる姿勢を保持していたため、特定の宗教を他の一神教の信者らが『信じる』ような態度で信仰しなかった」と指摘している[39]

自然人類学的特徴

以下、民族的分類による日本人について概説する。

身体的特徴

皮膚の色はやや赤みがかった薄い黄色(いわゆる肌色[40])、頭髪黒色茶色で直毛もくせ毛もあり、は一重・奥二重のものも二重のものもあり[41]身長は中位、また幼児期蒙古斑が現れる[42]。平均身長は1940年代末ごろから伸び、男性は171.7cmになっている。成人女性は通例として、成人男性より平均身長がほぼ8%低い[43]。平均身長は男性女性ともに1978~1979年生まれ以降、低くなっている。

  • 日本人の形質変化
歴史的に日本人の形質が大きく変化してきたことは人類学者鈴木尚らの研究によって明らかになっている。近代以降は下肢が伸びて身長が高くなる、が縮小して面長になるなどの変化(小進化)が著しい。の縮小と永久歯の減少が進んでおり、親知らずが生えない日本人が増えているが、それ以上に顎の退化が進み、歯並びが悪い日本人が増えている。歴史的には同様の現象は徳川将軍家を始めとする江戸時代大名家にも顕著にみられ、柔らかい食べ物を好むようになったことが、原因と考えられている。

成立

主要に日本人を形成したのは、「ウルム氷期狩猟民」と「弥生時代農耕民」とが渡来したことだった[44]。「ウルム氷期にアジア大陸から日本列島に移った後期旧石器時代人は、縄文人の根幹をなした」という[44]。「ウルム氷期直後の厳しい自然環境」が改善され生活が安定化していくと、「日本列島全域の縄文人の骨格は頑丈」となり、独自の身体形質を得ていった[44]。そして縄文時代終末から弥生時代にかけて、「再びアジア大陸から新石器時代人が西日本の一角に渡来」した[44]。その地域では急激に新石器時代的身体形質が生じたが、彼らが直接及ばなかった地域は縄文人的形質をとどめ、その後「徐々に均一化」されていった[44]。「地理的に隔離された北海道南西諸島の人びとは、文化の変革による身体形質の変化はあっても、現在なお縄文人的な形態をとどめている」とされる[44]

近年、埴原和郎尾本恵市などが、W・W・ハウエルズの分類による「モンゴロイドの2型」を用いている[44]。すなわち「古モンゴロイド」と、寒冷に適応した「新モンゴロイド」である[44]。「初め日本列島に渡来した後期旧石器時代人ないし縄文人は古モンゴロイド」であり、「縄文時代終末から弥生時代に渡来した弥生人を新モンゴロイド」と呼ぶ[44]。弥生人は主に米作を伝え、それに従事していたとされる。米作の普及が遅れ「新モンゴロイドの影響が及びにくかったアイヌや東北、山陰、九州および南西諸島の住民は、古モンゴロイド的特徴を今もなお残している」と解されている[45]。縄文人・アイヌは東ユーラシア系統から少なくとも30000年前に分岐しており恐らくモンゴロイドの成立前であるためそもそもモンゴロイドではない可能性もある。

かつては約3万年前に大陸から渡来して先土器時代縄文時代文化を築いた先住民を、大陸から渡来した今の日本人の祖先が駆逐したとする説があったが、現在は分子人類学の進展により置換説は否定され、混血説が主流となっている[46]

民族としての形成

以下、民族的分類による日本人について概説する。なお、近年の科学的研究の進展により従来の見方は大きく見直しが進んでおり、先史時代の日本人の形成については流動的な状況にあることに留意されたい。

石器時代の日本人

石器時代の日本列島には下記の人々が活動した記録がある。

縄文人と弥生人と古墳人

従来までの説としては、縄文時代から始まる縄文文化を持ち狩猟採集生活をしていた先住民の縄文人に続き、半島からの渡来してきた弥生文化を持つ弥生人稲作をもたらすなどしながら混血していったという1991年東京大学名誉教授だった埴原和郎が唱えた「二重構造モデル」が長らく定説であった。 しかし最新のゲノム分析からこの説は覆えりつつある。

金沢大、鳥取大、アイルランド・ダブリン大などの教授、研究員らで構成される国際共同研究グループの最新のゲノム解析では、旧石器時代に大陸から渡ってきた千人ほどの小さな集団が日本列島に適応して縄文人となり、弥生時代までに北東アジアを起源とする弥生人が渡来し、続いて古墳時代までに東アジアを起源とする古墳人が渡来し、以後、混血融和しながら現在の日本人を形成していったとする「三重構造モデル」である[47]。 考古遺跡から発見されている人骨から採取された『縄文人』『弥生人』『古墳人』のDNAは『現代日本人』に直接受け継がれている[47]。 現代日本人では古墳人のゲノムが7割近くを占める[47]。縄文人のゲノムは本土日本人、琉球列島集団、現代のアイヌのゲノムのそれぞれ約1割、3割、 7割を構成しているとされる[48]

今後の研究次第では更に「三重構造以上」になる可能性もある[47]。1970年に沖縄県で日本では少ない旧石器時代の人骨人が複数発見され、出土した場所の地名から港川人と名付けられたが、その一つのミトコンドリアDNAを調べたところ、分析した現代日本人約2千人の中に同じ遺伝子の特徴を受け継ぐ直系の子孫はいなかったものの、現代日本人・弥生人・縄文人に多く見られるタイプの祖先型の遺伝子を持つことが分かったという[49]。これは港川人の集団が日本人の遠い祖先にあたる可能性を示唆しており[49]東南アジアマニ族からは、縄文系日本人と近縁であることを示す遺伝子が検出された[50]

倭人

倭、倭人に関する記載は、もっとも古い文献では紀元前2世紀に中国の『山海経』と『論衡』にて登場するが、これらの記載は中国南東部の倭人のことを指しているとする説と日本列島の倭人のことを指しているとする説[51]があり、日本列島住民との関わりは不明である[52]。少数意見として、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴う日本列島からの難民が倭人の源流になったとする説がある。

「日本民族」の形成

古墳時代、朝廷権力の拡大とともに「日本」という枠組みの原型が作られ、その後、文化的・政治的意味での日本民族が徐々に形作られていくとされる。

「日本人」「日本民族」という認識(民族国家「日本」の成員としてのアイデンティティ、同胞意識)が形成され浸透していく経緯については諸説あり、ヤマト王権の支配が広い地域に及ぶ以前の弥生時代から倭人として一定の民族的統合があったとする説、また律令制を導入し国家祭祀体制を確立させた7世紀後期の天武持統期(飛鳥時代後期)にその起源を置く説、13世紀元寇鎌倉時代中期)が国内各層に「日本」、「日本人」意識を浸透させていく契機となったとする見解などがある。

大和盆地大王を中心とした連合政権国家または中央集権国家であるヤマト王権(大和朝廷)が成立すると、本州四国九州の住民の大半は大和民族として統合された。東北の蝦夷や南九州の熊襲および隼人と呼ばれた諸部族は大和朝廷に服属せず抵抗したが、軍事的な征服事業や懐柔政策により、隼人は8世紀ごろ、蝦夷は10世紀11世紀ごろまでには完全に大和朝廷の下に統合されていった(隼人の反乱日本の古代東北経営)。朝廷の支配が揺らいだ平安時代の東日本では、平将門の将門政権や奥州藤原氏の平泉政権など半独立政権が築かれたものの、東日本と西日本の民族的統合は保たれ、後に関東地方を基盤とした武家政権が全国を支配することとなった。

国民国家の認識

朝鮮台湾を領有した戦前日本の領土

近代に入り、日本がネーションステート(国民 / 民族国家)として朝鮮半島台湾島を領有していた時代には、日本人という語は、公式には、朝鮮人、台湾人など日本国籍を付与された民族を含む国籍的概念であった。これらの地域には日本本土と同じ法令(現行の刑法など)が施行された事実上の併合であった。朝鮮人からは数千名の貴族が叙爵(侯爵・伯爵・子爵・男爵)され東京の帝国議会貴族院に議席を有した。また、朝鮮高等法院などの裁判所の裁判例は、東京や大阪の下級審を拘束した(現在の東京地方裁判所も、朝鮮高等法院の裁判例に違反した場合、控訴理由になる)。以上から、日本本土は内地それ以外の地域は外地と呼ばれていたのは地理的概念である。

事実上の内地であった南樺太では、ロシア人ポーランド人ウクライナ人ドイツ人、朝鮮人、ウィルタニヴフの中には日本国籍を持っていた者もいた。そのため、第二次世界大戦後、ソ連によって日本人として北海道に強制送還、ないしは自ら進んで移住した朝鮮人、ウィルタ、ニヴフがいた。また、反ソ分子として抑留された者もいた。ポーランド系日本国民の多くはポーランド国籍を取得しポーランドに移住した。

遺伝子

本土日本人 (Mainland Japanese)、琉球人 (Ryukyuan)、アイヌ人 (Ainu)と他のアジア民族集団の系統樹。本土日本人は集団としては韓国人と同じクラスターに属した[53][54]

以下、人類学的観点から、日本人の系統または起源に関する諸説について記述する。

形質人類学的観点から日本人は、過去の縄文人弥生人や現在の日本国内に古くから住む住民がモンゴロイドに属する。「モンゴロイド」には朝鮮人やモンゴリア人などの東ユーラシア人全体が包括され、イヌイットアメリカ先住民が含まれる。

だが遺伝子の研究が進むにつれ、便宜的に使用される分類名称としての各人種も、推定される起源地(原初の居住地)の地理的名称を基準とすることが多い。

なお、日本人の元となった集団を仮定する際、その集団(もしくはその集団と遺伝的に近い集団)が「どこで発生したか」、「どこを通って日本にやってきたか」、そして「現在の集団においてどの集団と近縁か」は分けて考える必要がある。

分子人類学による解析

分子人類学の進展により、日本人に関してもDNAからルーツをたどる研究が行われるようになった。最初に発達したのが、母系をたどるミトコンドリアDNAハプログループの研究だった。しかし、ミトコンドリアDNAハプログループは人間を構成しているDNAの中で非常に少ない部分に過ぎず、すべての遺伝子を表すものではない。また、ミトコンドリアDNAのハプログループはアフリカで誕生した人類がどのように女系を通じて子孫へDNAを継承したかを示すのみであり、女系の継承と民族の移動は一致せず、女性は婚姻を通じて各方面へ移動し民族情報を持たない(民族固有の特徴を解析できない)ことが明らかとなった[55]。その結果、ミトコンドリアDNAの解析は下火となり、世界的には男系を追跡することの可能なY染色体ハプログループの研究に主役の座を奪われた。にもかかわらず、日本のアカデミズムにおいてはY染色体の研究は微々たるもので、ミトコンドリアDNAの研究が依然として続けられた。その理由の一つにはミトコンドリアDNAは染色体にある核の外部構造で、情報量はY染色体と比べ非常に少ないが、それゆえに研究者本人が低予算で簡便に解析ができたからである[56]。その後、世界の研究の潮流に抗えず、遅れて日本もY染色体ハプログループの研究を取り入れるようになった。Y染色体は蓄積された情報量がミトコンドリアDNAよりも多く、多様性があり長期間の追跡が可能であり、かつ歴史時代の情報と合致させるのに適していた[57][58]。しかし、世界のY染色体研究から大きく取り残された差は埋め難く、2004年のヒトゲノムの解読を契機に、核内の常染色体を解析するゲノム研究に移行した[59]。ミトコンドリアDNAとY染色体はそれぞれ母系・父系の一系を延々と遡源し先祖を辿る遺伝子を解析するものであるのに対し、常染色体はその人間を構成する遺伝子情報を解析するというもの(例えば、日本人固有の遺伝子を何%保有しているかなど)であり、そもそも何を目指した研究を行うのかの興味の範囲や方向性に違いがあるため、Y染色体と核ゲノムの研究を比較し一概にどちらが優れているかの評価はできない[60]

Y染色体ハプログループ(父系)による系統

母系のみをたどるミトコンドリア解析に対し、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半からY染色体ハプログループの研究が急速に進展した[58]。注目すべきは日本列島においてM55のSNPによって定義される縄文系D-Z1500系統が日本人男性の3割ないし4割、さらにその中のCTS8093のSNPによる系統が今より約2000年前に発生したと推定されているにもかかわらず、現代日本人男性の約1割を占めるに至っていることである。O-CTS11986によって定義されるM176系統は日本人の弥生系の子孫であり、D-Z1500系統に次いで多数を占める。さらにM216のSNPを持つC系統を合わせると日本人男性の8割がこのいづれかに属しており、現在の日本人男性の大半を占める[61][62]。C系統の内、F3393以下のM8のSNPを持つ系統は、非YAP(YAPの変異を持たない)縄文系であり、日本列島に最初に到達した系統であるともみられている[63]。C系統の内、M217の痕跡を持つものは、モンゴル女真満洲などの北方遊牧民族と祖を同じくし歴史時代になって以降の渡来とみられる。漢民族に由来するM122のSNPを持つ系統は中国朝鮮半島ベトナム等においては最多を占め、東南アジア、インド北東部やネパールなどの南アジアでも広範囲に見られるO系統の最大のサブグループであるにもかかわらず、日本においてはD-Z1500,O-M176の両系統に次ぐことが特徴的である[64]。O-M122系統は現在の日本人のY染色体ハプログループの中では、D-CTS8093やO-CTS11986のような父系の有力なクラスターを持たず、遺伝子的にみれば分岐系統が異なる雑多な寄せ集めであるため、散発的に日本列島に渡来したと考えられている[65]

Y染色体一塩基多型分岐図

 
A0000
 
A000-T
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
PR2921
 
A00
 
 
A0
 
 
A1a
 
 
A1b1
 
 
サン族
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
L1090
 
 
P305
 
 
V221
 
 
M42
 
 
M168
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
E系統
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
YAP
 
 
CTS3946
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
A5580.2
 
ナイジェリア
 
 
F6251
 
M15
 
チベット
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Y34637
 
ジャラワ族
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
M174
 
CTS11577
 
 
Z3660
 
 
M64.1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
L1366
 
フィリピン
 
 
 
 
 
 
※以下縄文人の系統
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS131
 
CTS220
 
CTS10495
 
Z17176
 
BY113470
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FT413039
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS11285
 
PH2316
 
Z38287
 
Z38284
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Z38289
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS1824
 
CTS11811
 
 
CTS288
 
CTS1815
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Y456902
 
礼文島人骨
 
 
Z40665
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
M116.1
 
加徳島人骨
 
 
CTS103
 
Z42462
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS6609^^
 
 
CTS1897
 
CTS11032
 
CTS218
 
CTS6909
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
F8521.3
 
 
CTS3033
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
M151
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
P120
 
 
 
 
 
 
CTS1964
 
BY169023
 
CTS964
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS722
 
 
BY169030
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Z30644
 
CTS4292
 
Z31517
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS429
 
 
Z31512
 
 
CTS1798
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
M125
 
CTS291
 
P12.1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
JST022457
 
P53.2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Page3
 
CTS3397
 
Z1500
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Z1504
 
BY149852
 
FGC34008
 
 
L137.3
 
Z40625
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Z45993
 
 
 
 
 
 
Z40609
 
 
CTS217
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS3327
 
 
 
 
 
 
FT8762
 
 
Z38475
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS8093
 
FGC6373
 
 
FGC6372
 
FGC6384
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
BY45234
 
BY26014^^
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Z40614
 
 
Z46276
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FGC30021
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Z31548
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FT262409
 
Z31553
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FT117379
 
CTS4093
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS6223
 
 
BY166058
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Z40687
 
Z35641
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Z40688
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
P143
 
M89
 
F1329
 
M578
 
L15
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Y27277
 
 
 
 
 
 
 
H系統
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
M216
 
 
 
 
 
 
 
G系統
 
アイスマン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
F3393
 
CTS11043
 
M8
 
CTS9336
 
CTS6678
 
Z7972
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Y170131
 
Y170130
 
 
 
 
 
 
 
 
M217
 
F1067
 
Z1312
 
F2613
 
CTS4021
 
CTS2657
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS11990
 
Z31664
 
Y112121
 
MF1792
 
 
 
 
 
 
Z31665
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS3579
 
 
 
 
 
 
MF2816
 
Y86025
 
 
Y87983
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Y89130
 
MF2828
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
M9(P128)
 
LT系統
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
M526
 
M2308
 
F549
 
M214
 
M175
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
YSC0000186
 
PF5850
 
 
 
 
 
 
 
N系統
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
IJ系統
 
I系統
 
クロマニョン人
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
J系統
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
V1651
 
M1254
 
P337
 
P284
 
P226
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
R系統
 
Y482
 
M173
 
L146
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Q系統
 
L472
 
 
L722
 
 
M343
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
L275
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
F265
 
M268
 
M176 (P49)
 
F855
 
CTS9259
 
F1204(K10)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
M122
 
漢民族
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
47z (K7)
 
CTS1348
 
CTS11986
 
 
※以下弥生人の系統
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS8379
 
ACT4054
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Y130364
 
CTS2748
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Z24599
 
CTS1351
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
BY146002
 
Y130014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS9852
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
K14
 
Z24594
 
CTS525
 
FT217340
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FT350225
 
CTS11088
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
BY179281
 
BY178096
 
BY178807
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Y126340
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
F2868
 
L682
 
CTS723
 
Y24057
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
F940
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS7620
 
CTS4596
 
Y61286
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Page90
 
BY162375
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
CTS1175
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
MF14346
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
A12446
 
PH40
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FGC67537
 
FT41750
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
MF14220
 
 
 
 
 
 
 
FGC67568
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Y72859
 
 
MF16242
 
MF14245
 
FT281275
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(出典)"ISOGG Tree"(Ver.15.73), "Y-Full"(Ver.12.00), "FTDNA Big Y Tree"

Y染色体ハプログループによる近隣集団との比較

日本人ハプログループは、出アフリカ後、イラン、チベット、アルタイ山脈樺太北海道を経由した「北ルート」[66]で到達したとする説、インドから東南アジアを経由した「南ルート」[67]で到達したとする説がある。D-64.1系統(約35%)、O-M176系統(約30%)、O-M122系統(約20%)の上位3系統で日本人全体の約85%を占めるほど高頻度に見られる。他にC-M8系統C-M217系統N-M231系統O-M119系統O-F2320系統Q-M242系統I-M170系統R-M207系統なども低頻度に見られる。

Y染色体グループごとの近隣集団との関係
Y染色体ハプログループの世界拡散を表す想定地図

ハプログループD-F6251は、チベット等に多いが、日本人にも見られるタイプである[68]ハプログループD-64.1は、日本列島に固有に見られるタイプで、アイヌが高頻度で約85%、次いで琉球民族で約40%、本土日本人にも35%ほど見られる。縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌ[注 6]や一部の沖縄県民(特に糸満市南風原町等がある島尻地区)で高頻度に見られ、反対に漢民族朝鮮民族などの周辺諸民族にはほとんど見られないことから、ハプログループD-64.1は縄文人に特徴的なY染色体だとされる。現代韓国では平均して約2%の男性、中国では約0.02%[70](主に朝鮮族だが、満洲族蒙古族漢族の例も有り)の男性がハプログループD1a2aに属し、ミクロネシア[71]ティモール島[72]でも単一例が発表されている。
アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でもD系統が扱われ、チベット人にも、約50%の頻度でこのハプログループDを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとする仮説を提唱した[73][74][75]。しかし、実際にどのような経路を通ったかは様々な学説があり結論には達していない。

  • D系統は、現在世界で極めて稀な系統になっており、日本人 (D-64.1) が最大集積地点としてその希少な血を高頻度で受け継いでいる。遠く西に離れたチベット人 (D-F6251) やアンダマン諸島(D-Y34637)で高頻度である他は、アルタイ(D-M174*)、タイ (D-F6251)、ヤオ族 (D-F6251)、フィリピン (D-L1378)、グアム島(D-M174*) 等の南方地域にわずかに存続するだけである。しかしながら同じD系統とは言え、D-M64.1系統と東アジア(チベット等)のD-F6251系統は分岐してから4 - 5万年もの年月を経ていると考えられる[76](O系統が誕生したのが3 - 4万年前であるため、これよりも前に分岐しているD-M64.1とD-F6251等は別系統であるがともに日本列島で見られる)。
  • ハプログループO-M175東アジアから東南アジアにかけて最多を占めるグループである。O系統は今より約40,000~約45,000年前(41,750 (95% CI 30,597 <-> 46,041)年前[77]、44,700年前或いは38,300年前[78]、45,300 (95% HPD interval 39,400 <-> 51,900)年前[79])に東アジアにてハプログループNO-M214から誕生し、今より37,200年前頃[79]から30,000年前頃にかけて多くの現代東アジア人や東南アジア人の父系に繋がる五つの大系統を生み出した。今より約35,000年前の日本列島の旧石器時代初期頃に日本列島にまで到達したと考えられるD系統と比べると、O系統はその後から東ユーラシア全域に広がり、誕生時期的には比較的若い系統であるものの、西ユーラシア系のハプログループRと並んで現代人類において最も帰属人口の多い系統となっている[80]。日本で主に見られる詳細系統はO-M176系統O-M122系統である。
    O-M176系統は、日本列島のほか、朝鮮半島でも日本と同程度見られ、東アジアのその他の地域や東南アジアでも稀に見られる[81][82]。O-M176系統は今よりおおよそ31,108年前[77]に現代東南アジア人男性の多くが属すO-M1304/K18との最も近い共通祖先であるO-M268から分かれ出て、今より約7、8千年前から朝鮮半島またはその近くの地域で急速に帰属人口が増え始め、やがて日本列島や中国大陸へ拡散をしたと見られる[83][84]。日本のO-M176保有者の約7割(85/127 = 67%[85]、525/761 = 69.0%[86]、64/90 = 71%[87]、57/77 = 74%[81]、66/88 = 75%[88]、38/46 = 83%[84]、11/13 = 85%[89])で見られるO-47z(K7)というサブグループは、今よりおおよそ8,000年前に発生したと推定されており、朝鮮半島及び中国で多く見られるO-F2868(K4)というサブグループとはその時点で血筋がわかれたということになる[81]
    O-M122系統は、中国朝鮮ベトナム等においては最多を占め、東南アジア、インド北東部やネパールなどの南アジアでも広範囲に見られるO系統の最大のサブグループであるにも関わらず、日本においては低頻度であることが特徴的である[64]

日本人男性のY染色体比率

ヒトのY染色体のDNA型はAからTの20系統がある。複数の研究論文から引用したY染色体のDNA型の比率を示す[90]。全ての型を網羅していないため、合計は100%にならない。空欄は資料なしで、必ずしも0%の意味ではない。

日本人および周辺(日本からおよそ5000km以内)の諸民族のY染色体ハプログループの割合
  n C-M130 D-CTS3946 NO-M214 N-M231 O-M175 Q-M242 R-M207
C-M8 C-M217 D-M174
(xD-F6251
,D-M64.1)
D-F6251 D-M64.1 O-Z23193 O-M268 O-M122
O-M95 O-M176
O-47z O-F2868
(xO-47z)[注 7]
日本
(Nonaka et al. 2007)[88]
日本 263 2.3 3.0 0.4 38.8 0.8 3.4 0.8 25.1 8.4 16.7 0.4
日本
(Hammer et al. 2006)[81]
アイヌ 4 0 25.0 0 0 75.0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
青森 26 7.7 0 0 0 38.5 0 7.7 0 0 27.0 3.8 15.4 0 0
静岡 61 4.9 1.6 0 0 32.8 0 1.6 0 1.6 21.3 13.1 19.7 1.6 0
徳島 70 10.0 2.9 0 0 25.7 5.7 1.4 0 2.9 24.3 5.7 21.4 0 0
九州 53 0 7.5 0 0 26.4 3.8 0 0 3.8 28.3 3.8 26.4 0 0
沖縄 45 4.4 0 0 0 55.6 0 0 0 0 11.1 11.1 15.6 0 2.2
日本
(Sato et al. 2014)[86]
S=大学生
A=成人男性
長崎S 300 3.3 5.3 0 30.0 1.3 0 1.0 23.3 10.7 23.7
福岡A 102 5.9 7.8 0 33.3 1.0 2.0 0 26.5 8.8 10.9
徳島S 388 5.7 5.9 0 30.6 1.0 1.8 2.1 23.2 10.3 17.8
大阪A 241 6.2 7.5 0.4 31.2 1.7 1.2 0.8 17.8 10.4 22.5
金沢S 298 3.4 6.4 0 32.6 2.3 0 3.7 21.1 11.4 18.5
金沢A 232 4.7 5.6 0 32.7 0.9 3.0 0 18.5 9.5 21.9
川崎S 321 5.6 5.9 0.3 33.0 1.6 0.9 0.3 24.3 10.0 17.8
札幌S 302 4.4 5.0 0.3 33.1 0.7 1.3 0.3 23.2 8.6 20.3
札幌A 206 3.4 7.3 0 35.0 1.0 1.0 1.9 19.9 7.8 19.9
2390 4.7 6.1 0.1 32.1 1.3 1.2 1.3 22.0 9.9 19.7
日本
(Tajima et al. 2004)[91]
アイヌ(北海道日高 16 0 13 0 88 0 0 0 0
本州 82 5 1 0 37 0 20
九州 104 4 8 0 28 2 24
日本
(Seo et al. 1999)[92]
宮崎 270 35.2
日本
(Shinka et al. 1999)[93]
沖縄本島中部
(読谷勝連)
61 30
沖縄本島南部
(糸満具志頭)
99 45
八重山
(西表・波照間)
27 4
東アジア
(Hammer et al. 2006)[81]
朝鮮民族 75 0 9.3 0 0 4.0 0 2.6 2.6 2.7 4.0 33.3 40.0 0 1.3
満州民族 52 0 26.9 0 0 0 0 5.7 5.7 5.8 0 3.8 38.5 0 7.7
モンゴル 149 0 52.3 0 2.6 0 0.7 8.0 0.7 O1b*=1.3 22.8 2.7 4.0
漢民族華北 44 0 4.5 0 0 0 2.3 9.1 0 6.8 0 0 65.9 4.5 2.3
漢民族華南 40 0 5.0 0 0 0 2.5 15.0 15.0 30.0 0 0 32.5 0 0
イー 43 0 2.3 0 16.3 0 2.3 30.2 0 9.3 0 0 32.6 0 0
ミャオ 58 0 3.4 0 8.6 0 0 0 6.9 10.3 0 0 68.9 0 0
チベット 105 0 1.9 3.8 46.6 0 0 2.9 0 0 0 0 35.2 0 6.7
台湾原住民 48 0 2.1 0 0 0 0 0 89.6 2.1 0 0 6.3 0 0
東南アジア
(Trejaut et al. 2014)[94]
フィリピン 40 0 0 0 0 0 4.8 0.7 42.5 3.4 0 15.0 0 4.1
タイ 75 0 0 1.3 2.7 0 0 0 5.3 42.7 0 29.3 0 1.3
東南アジア
(Hammer et al. 2006)[81]
ベトナム 70 0 4.3 0 2.9 0 0 2.9 5.7 27.1 2.9 1.4 40.0 7.1 1.4
マレー 32 0 0 0 3.1 0 3.1 0 6.3 34.4 0 0 31.3 0 3.1
インドネシア(西部) 25 0 0 0 0 0 0 0 20.0 12.0 8.0 8.0 36.0 0 4.0
南アジア
(Thangaraj et al.2003)[95]
オンゲ 23 0 0 100 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ニコバル 11 0 0 0 0 0 0 0 0 100 0 0 0 0 0
オセアニア
(Hammer et al. 2006)[81]
ミクロネシア 17 0 0 0 0 5.9 0 0 11.8 0 0 5.9 17.6 0 0
北アジア
(Tambets et al.2004)[96]
ガナサン 38 5.3 92.1
ケット 48 6.2 93.7
北アジア
(Duggan et al.2013)[97]
ヤクート 184 2.1 94.5 0.5 2.2
ユカギール 13 30.8 30.8 30.8
北アジア
(Hammer et al. 2006)[81]
アルタイ 98 0 22.4 5.1 0 0 0 4.0 0 0 0 0 1.0 17.3 46.9
ブリヤート 81 0 60.5 0 0 0 0 30.9 0 0 0 0 2.5 0 3.7
エヴェンキ 95 0 68.4 0 0 0 0 18.9 0 0 0 0 0 4.2 1.1
オロチョン 22 0 90.9 0 0 0 0 4.5 0 O1b*=4.5 0 0 0
北アジア
(Lell et al.2002)[98]
コリャーク 27 0 59.3 0 0 0 0 22.2 0 0 0 0 0 18.5 0
チュクチ 24 0 4.2 0 0 0 0 58.3 0 0 0 0 0 33.3 4.2
ニヴフ 17 0 47.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 11.8 35.3 0
Y染色体グループから推定される日本人の成立史
日本人の形成に至る東アジアのY染色体ハプログループと民族移動

崎谷満によれば、最初に日本列島に到達し、後期旧石器時代を担ったのは、4万-3万年前にやってきたD-M64.1系統である[99]。D-M64.1は日本に多く見られる系統であり、アイヌ88%(但しサンプル数は16人のみ)、沖縄県約40%(4% - 56%)[88][91][93]、本州約35% (31% - 39%)[88][81][91][93]で、日本国外では韓国で平均して2%ほどの男性に観察されるほか、中国、ミクロネシア、ティモール島などで散発的に観察されている。遠縁のD-F6251が多数のチベット人で見られるほか、少数のウイグル人、モンゴル人、アルタイ人、イ(彝)人、ミャオ(苗)人、ヤオ(瑶)人、漢人などでも確認されている。D-CTS11577系統の下位系統は5万年以上前に分岐し、日本列島に至り誕生したのがD-M64.1であり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループがD-F6251であると考えられる。

渡来時期については諸説あるが、後期旧石器時代及び新石器時代のヨーロッパ(クロマニョン人)、そして少数の現代ヨーロッパ人[100]ベルベル人アルメニア人、ネパール人[101]でわずかに見られるC-V20と姉妹系統のC-M8系統もかなり古い時代に日本列島に入ってきたと考えられる。崎谷満はC-M8の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている[99]。他にも華南から海流に乗って日本列島に到達した南方経由説、樺太から北海道に流入後、日本列島各地へ流入した説など様々な意見がある。渡来年代についてはD-M64.1より早い4万年以上前という説もあり、C-M8が日本列島最古層という可能性もある。現代日本人男性の約20人に1人(5%)がこのC-M8系統に属していると見られ[88][81][86][78][89]、韓国・朝鮮及び中国でも散発的に観察されている[84][76]

C-M217系統は現在、カザフ人、モンゴル人、エヴェンキ人等のアルタイ系諸族、極東ロシア(ニヴフ人、コリャーク人等)及び北アメリカ大陸北西部の原住民(例えば北部アサバスカ諸語話者等)に多い。崎谷はC2系統は細石刃石器を用い、ナウマンゾウを狩っていたと考えている。ただし、C-M217系統も渡来時期については諸説あり、朝鮮民族や漢民族などの周辺民族にも一定頻度見られることから、後述のO-M122系統やN系統やQ系統等と共に渡来してきた可能性もある。ちなみにアルタイ系民族(チュルク系民族モンゴル系民族ツングース系民族)で高頻度なC-M217系統はC-M407という若いサブクレードに属すものを除けばほぼ全てC-L1373系統であるが、日本人や漢民族、朝鮮民族などで観察されるC2系統はC-F1067系統が大半で、C-L1373はわずかである。(C-M217に属す日本人130人中111人即ち85.4%がC-F1067 > C-CTS3297に属すのに対して、わずか19人即ち14.6%がC-F1396に属し[102]、河北省邯鄲市漢族730人のサンプル中79人がC-F1067に属すのに対してわずか13人がC-L1373に属し[103]、韓国ソウルで採取された573人のサンプル中70人がC-F1067に属すのに対してわずか5人がC-L1373に属し、韓国大田で採取された133人のサンプル中14人がC-F1067に属すのに対してC-L1373に属す人が1人も観察されなかった[104][105]。) また現代の日本で観察されるハプログループC-M217に属すY-DNAは幾つもの異なる下位系統に属しており、一概にC2系統といっても、そのルーツや渡来時期は複数存在したことが想定される。現代日本人に於けるC2-M217の頻度については、各研究によって差があり、少ないものでは2%[89]、3%[88][81]ほど、多いものでは6%[86]、7%[84]ほどとなっている。

O-M119系統台湾原住民の男性に非常に多いので、新石器時代の台湾または対岸の中国本土沿岸部が起源であろうと推測されている。崎谷満はオーストロネシア語族との関連があると想定している。台湾に近いにもかかわらず、日本列島の男性ではO1aは全体の約1%(0%~3%)に過ぎない。中国復旦大学黄穎李輝高蒙河らの研究によれば、中国春秋時代百越(粤)のY染色体は、O-M119系統である[106]

O-F2320系統の下位系統の一つであるO-M95は現代の東南アジアの男性に多いが、元々は新石器時代の中国から拡散していったと見られている[83]。O1a-M119と同様、現代日本人の全体の約1%(1%~4%)がこのO-F2320系統に属していると見られる。

O-M176系統について、崎谷満は従来の研究結果とは異なる主張を提示し、長江文明の担い手だと考えている。今までの研究結果とは逆にO-M176系統が移動を開始したのは約2800年前で、長江文明の衰退に伴い、O-M176は南下し、百越と呼ばれ、残りのO-M176は西方及び北方へと渡り、中国東北部、朝鮮半島から日本列島へ渡ったと崎谷満は主張している。O-M176系統は中国江南から水稲栽培を持ち込んだと考えられ、日本列島への流入は弥生人と関連し、則ちO-M176系統の到来と共に縄文時代から弥生時代へ移行しはじめたと考えられる。O-M176系統は日本列島のほか、朝鮮半島や中国東北部の一部でも比較的多く見られる。しかし、池橋宏はO-M176が長江文明の地域である中国南部に殆ど発見されていないことと、日本列島の一部地域の土層から稲のプラントオパールがみつかってはいるが、これが必ずしも長江から移動を意味するものではなく、稲の品種や技術が人々の間で伝来したと考えられると主張した[107]

O-M122系統について崎谷は、その一部は縄文時代~弥生時代にミレット農耕をもたらしたが、大部分は弥生時代よりも更に後、特に4世紀から7世紀頃に中国大陸及び朝鮮半島から到来した渡来人による流入が多かったであろうとしている[99]。O-M122は現代の中国人(約53.48%[108])、朝鮮民族(42.1%[105]、44.3%[84])に於ける最多の系統であり、現代のタイ(29.3%[109])、ベトナム(37.5%[109])、フィリピン(30.8%[109])等に於いても首位を争う程の高頻度で観察されている。

N-M231系統ウラル系民族に高頻度で、日本では約2%(0%-7.7%)の男性に見られるが、具体的な渡来経路などは明らかでない。N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が青森で採取された26人のサンプルのうち2人のサンプル(即ち7.7%)に観察され[81]遼河文明の遺跡人骨からもN1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が高頻度で見つかっており[110]、かつ三内丸山遺跡と遼河文明の関連性が指摘されている[111]。なお、現代日本で観察されているN-M231の下位系統は、主に中国で観察されているN-M128[112][76][113]とN-M1819[114][76][113]とN-CTS962[114]、並びに韓国・朝鮮を中心として中国等でも観察されているN-Y23747/N-F4063[112][113][76]であり、ウラル系民族等北アジアの男性に多く見られるN-F1419/M2017とN-P43ではない[113][76][112]ため、現代日本で見られるハプログループNはハプログループO2-M122やハプログループC2-M217やハプログループQ-M242等と共に渡来してきた可能性もある。(総人口に占める割合を取って見ても、O2-M122、C2-M217、N-M231、Q-M242はどれも日本人よりも中国人と韓国・朝鮮人に占める割合の方が大きい。ちなみに漢族や日本人に比較的多く見られるN-M128はネネツ人、ガナサン人、マンシ人、ハンティ人等東寄りのウラル系民族に多く見られるN-P43とは今より約10480年前に、朝鮮民族に比較的多く見られるN-F4063はフィンランド人、サーミ人、エストニア人等西寄りのウラル系民族に多く見られるN-F1419とは今より約12500年前にそれぞれ最も近い共通祖先をもっていると推定され、更に、これら全ての系統の最も近い共通祖先であるN-F1206は今より約17600年前の者と推定されている。[115])Wangら、2023のモデルでは古代ユーラシア人のmtDNA Rの分岐である東アジアのmtDNA pre-F*に関連した人口と相互作用したy 染色体N-M231[116]の枝に属するWatahikiら、2024[114]で言及されている日本の人口のy 染色体N-M231の東アジアの性質は、後述する脊椎動物古生物学・古人類学研究所の研究者らが共著した論文から観察できます。DNAに関しては、男性は母親から約51%を受け継ぎ、父親からはわずか49%を受け継ぎますため、[117]脊椎動物古生物学・古人類学研究所の研究者らが共著したYangら、2020のモデルでは、後李文化の博山遺跡のy染色体N-F2905に属する古代男性標本が中国の長江流域の湖北省だけの同時にY染色体O-M119やO-M134やO-IMS-JST002611に属する標本たちに同等なDNAの約49%を持っていました[118](後李文化が河姆渡文化の土器といくつかの特徴を共有した[119]「陶釜」という丸底土器を主体を持中に马家浜文化の形成に貢献しました[120])、後李文化の小荊山遺跡にはPCA上の博山遺跡の古代標本の近くにクラスター化されたY 染色体N-F2905に属する1つの古代標本があり、[118]小荊山遺跡にも、y 染色体N-L729(N-F1206)に属する4つの標本で正確な遺伝的系統を形成する1つの古代標本があった、[118]さらに、X染色体の組換え中に男性の減数分裂に参加したy 染色体N-L729に属する祖先が存在する場合のように、これはy染色体N-M231のすべてのタイプに関連した小荊山遺跡の個人たちの集団の相対的な均一性を示してあり、[118]全体的にこれらの小荊山遺跡の個人たちが中国の福建省の亮島遺跡の古代標本のDNAとおおよそ類似したDNAの100%を持つものとしてモデル化できます。[118]y染色体N-M1819はWangら、2023のモデルでは台湾の「選択された」オーストロネシアのタイヤル族のy染色体との主な類似性が示されました、[116]さらに、中国の河南の省龍山文化の平粮台遺跡のy染色体N-M1819に属する古代男性標本のy染色体には中東の要素もウスト・イシム人に関連した要素もありませんでしたが、[116]その代わりに、古代平粮台遺跡で後期石家河文化のタイプに属した、[121]すなわち良渚文化の瑶山遺跡から報告された翡翠の加工技術を組み合わせたタイプに属した翡翠のアーティファクト発見されたことを考慮して、[122]平粮台遺跡のy染色体N-M1819に属する古代男性標本がPCAには澎湖諸島の翡翠のアーティファクト[123]や炭化米[124]を発見された锁港遺跡のY染色体O-F871*やO-M175*に属する古代標本たちと良渚文化の影響を受けて稲作を取り入れた昙石山文化[125]の古代標本たちで遺伝的系統たちを形成しました。[126]Rootsiら、2007に記載されている日本、フィジー諸島などに分布する「祖先パラグループN*」については[127](比較のために、Hammerら、2006では、y 染色体 NO*/Nの両方に属する標本が徳島と九州に存在していました[81])、脊椎動物古生物学・古人類学研究所の研究者らが共著したWangら、2021のFigure2Bの日付指定可能なモデルやFigureS3Dの同等の時間スケールを持つ最初のモデルでは、38100年前の系統と38000年より少し若い系統の17%と18%が広西のY 染色体O-M188>O-M7に属する古代独山の標本に分離されていて、[126]古代独山の標本は宝剑山「縄文人と同様に東アジア人との遺伝的類似性を示す」広西の宝剑山の古代標本に貢献し、[126]古代独山の標本に関連した広西のmtDNA B4a1eはフィジー諸島の人口のmtDNA B4a1a1nと突然変異を共有しています、[128]さらに、「古代のゲノムと現生人類の進化の道筋」では、脊椎動物古生物学・古人類学研究所の研究者らが南シナ海の島々などを含む農業革新の独立した中心地を設置ましたが、[129]その代わりに、最終モデルでは、若いy染色体N-M231のに属するの博山の古代標本の独立した遺伝的要素が古代独山や亮島や奇和洞遺跡に代表されるY染色体O-M122やO-M119やO-M268に属する標本たちに関連した人口と共存し続け、[126]Y染色体O-M122やO-M119やO-M268に属する標本たちに関連した人口の分裂前にわずかに分離しましたが、他のモデルによると、分裂後に得られた集団たちと個別に相互作用し続けました。[126]

Q-M242系統はアメリカ大陸の先住民族及びシベリアの一部の先住民族(ケット人セリクプ人コリャーク人チュクチ人等)で多く見られるハプログループである。東アジアでは北方漢族男性(約4%~5%)で比較的多く見られ、日本ではわずか約0.40%の男性に観察されている。

ミトコンドリアDNAとY染色体による比較結果の相違

ミトコンドリアDNAのハプログループ構成を東アジアの集団で比較すると、本土日本人・山東遼寧の集団、韓国の集団は互いにかなり類似しており、沖縄の集団はハプログループM7aが多いなどの相違があるが依然本土日本人と近縁で、台湾・広東の集団は離れているという結果になった[130]

いっぽう、Y染色体による比較では、主にハプログループDが日本人において優勢であり、他の集団にはほとんど見られないことで、中国・韓国・モンゴルといった東アジアの集団から日本人は大きくかけ離れている[130]。また、アイヌ沖縄においてもハプログループDは頻度が高い。

この相違について篠田謙一は、母系と父系の子孫の残し方の違いに原因があると考えている。すなわち、女性は一生に産むことのできる子供の数が限られているのに対し、男性は一人で多くの子供を作ることができるといった事情に起因するという説である。特に、支配者層の父系DNAは短時間で爆発的に増加することがある。日本列島では縄文人の遺伝子とみられるY染色体ハプログループDが広範囲に温存されていることから、縄文系の支配者層が長きにわたって王者として君臨し、その後日本に流入し弥生時代を開始した集団がそれを補佐する形で平和裏に共存し、その後も王朝交替することがなかったか、同じ縄文系の中での交替にとどまったのではないかと推測している[131]

斎藤成也は、ミトコンドリアDNAやY染色体もそれぞれ母系、父系単系の系統樹を知るのに適しており、その構成要素を知るゲノムワイドな分析と役割の違いを指摘している[57]

ミトコンドリアDNAによる近隣集団との比較

以下にミトコンドリアDNAによる人類集団を類似性を系統樹様にして表したものを記す。人類集団は常に混合しているため、多数の遺伝子を用いた分析においては一元的な系統関係は存在しないことに留意する必要がある。この図はあくまで他集団との類似性を示すものである。

下図左では、日本人集団に最も近いのは朝鮮人集団であり、その次にカンボジア人集団であるという結果となっている。下図右では、日本人集団は朝鮮人集団、マレーシア人集団、ポリネシア人集団などと近縁で、「アジアのモンゴロイド」としてまとめられている。「アジアのモンゴロイド」と近縁なのが「アメリンド」、次いで、「オーストラロイド」、「コーカソイド」の順で、「ネグロイド」とは最も離れている。

ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(母系)による系統

1980年代からのミトコンドリアDNAハプログループ(母系)の研究の進展により、ヒトの母系の先祖を推定できるようになった(ミトコンドリア・イブ参照)。これにより、アフリカ単一起源説がほぼ証明され、民族集団の系統樹も作成されるようになった。ミトコンドリアDNAやY染色体のようなゲノムの組換えをしない部分を用いた系統樹の作成は、集団の移動とルーツを辿るのに用いられる。たとえば日本人のミトコンドリアDNAのハプロタイプの割合と、周辺の集団つまり各ハプログループを比較することで、祖先がどのようなルートを辿って日本列島にたどり着いたかを推測できる。分析に用いられるのは、ミトコンドリアDNAの塩基配列のうち、遺伝子の発現に影響しない中立的な部分である。形態の生成等に関与せず、選択圧を受けないため、分析に用いることができる[132]

日本人に特徴的なミトコンドリアDNAハプログループとして、ハプログループM7aがある[133]

また、篠田謙一は2007年の著書で、ハプログループM7の発生を四万年前、さらのそのサブグループの発生を二万五千年前と推定し、M7の起源地を当時海水面の低下によって陸地となっていた黄海から東シナ海周辺とした[134]

これに対して崎谷満2009年の著書で、M7aは極東・アムール川流域にも見られるほか、シベリア南部(ブリヤート)、東南アジアにも見られるとし、発生したのはシベリア南部 - 極東あたりと予想するいっぽう、台湾先住民にも台湾漢民族にも存在せず、台湾から北上して日本列島に入ったものではないと記している[135]。なお崎谷は上記の著書において、ミトコンドリアDNA・Y染色体といった分子人類学的指標、旧石器時代の石刃技法という考古学的指標、成人T細胞白血病ウイルスやヘリコバクター・ピロリといった微生物学的指標のいずれにおいても、東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的で日本列島には及ばなかったと述べている[136]

その他、日本人によくみられるタイプとして、ハプログループD (mtDNA)ハプログループA (mtDNA)ハプログループG (mtDNA)ハプログループN9 (mtDNA)ハプログループB (mtDNA)ハプログループF (mtDNA)が挙げられる。

HLAハプロタイプの流れ

HLAハプロタイプについては、日本人には大きく以下の4タイプの流れが認められる[137][138][139][140]

  1. B52-DR2: 中国大陸北部と朝鮮半島から北九州・近畿へ
  2. B44-DR13、B7-DR1: 満州・朝鮮半島東部から日本海沿岸へ
  3. B54-DR4: 大陸南部から琉球諸島を経て太平洋側へ
  4. B46-DR8: 大陸南部から直接、あるいは朝鮮半島を経由して北九州へ

1. は中国北部、モンゴルの一集団に高頻度のタイプで、国内では九州北部から本州中央部にかけて多い。

2. は満族、韓国人[注 8]に高頻度タイプで、国内では日本海側に多い。

3. は中国南部に多いタイプで、国内では沖縄や太平洋側に多い。

4. は国外では満族と韓国人[注 8]のみに多くみられ、国内には九州北部から本州中央部にかけて多い。このタイプの姉妹タイプB46-DR9が東南アジアで最も高頻度でみられる。

さらにこれとは別に縄文系と想定される別の複数のハプロタイプが南九州や北東北に存在する。またアイヌは日本人と異なる型が多いという。

塩基多様度のネット値 (DA) 分析による系統関係

ミトコンドリアDNAの塩基配列の多様性の度合いを比較分析することによっても系統関係を計測できる。塩基多様度のネット値 (DA) 分析によって求められた集団間の遺伝距離をもとにした系統樹では、まずアフリカ人より西ユーラシア人(ヨーロッパ人)と東ユーラシア人(東アジア人)とが分岐し、次いで東ユーラシア人からアメリカ先住民が分岐し、次いでアイヌと東アジア人クラスターが分岐、次いで東アジア人が分岐、次いで沖縄と本州とが分岐する[141]

核DNAに対するゲノムワイドな解析

ヒトゲノムが解析されて[142]以来、人類集団間の遺伝的関係を推定するために大量のSNPを解析する研究が進展している[143]。日本列島の人類集団においても、このようなアプローチによる集団の歴史の解明、医療方面への応用が期待されてきた。しかし、ゲノムワイドな解析を行う場合、個体によって差が開き過ぎるため、長期間の人類史を追うための解明には不適であるとの指摘もある。具体的には個体「A」のゲノムを解析し、近隣諸国の人々との違い、混合割合を算定したところで、その個体「A」がどのようなパートナーと婚姻し子供を生むかで、次の世代の個体「B」は全く異なるDNAの構成となるからである。このように一世代で全く異なるDNAに置き換わってしまうものを根拠に、古代のある時代を推算して結果を導くことに注意喚起がなされている[144]

遺伝子マーカーとしてのミトコンドリアDNA、Y染色体DNAとの違いは、①注目するDNA領域長、②遺伝的組み換えの有無、③遺伝様式などが挙げられる。

遺伝情報に基づいて系統関係を議論する場合、ハプロタイプ単位、あるいはマイクロサテライト、SNP単位での遺伝的多型に注目しているわけだが、遺伝的多型が必ずしも真の系統関係を示すとは限らない。なぜならば、遺伝的多型の実体である対立遺伝子頻度は、そのゲノム領域に依存した突然変異率、組換え率、さらに、遺伝的浮動自然選択、集団間での個体の移住、個体群動態などの影響を受けるためである。この問題を避けるためには、互いに独立な関係にある座位を多数解析することが必要である。この点で、注目する領域が相対的に小さく、組換えのないミトコンドリア、Y染色体の遺伝子マーカーは得られる情報量が制限される。しかしながら、遺伝様式が常染色体とは異なることから、母系、父系の遺伝子系図を比較する議論ができるという長所もある。

ゲノム解析は中立進化をしている領域のほか、転写されるコード領域も解析に含むため、適応進化の研究、個別化医療への応用も期待される。

上記詳細は太田(2007)[145]、斉藤(2009)[146]、斎藤(2017)[147]などを参照。

以下、日本列島人類集団を含む研究例をあげる。

International HapMap Consortiumの研究[143]では、東京由来の44名を含む人類集団サンプルを解析している。

Tian et al.(2008)[148]では、東アジア地域をカバーした集団サンプルを用いて、その遺伝的構造を議論している。主成分分析の結果からは日本列島人が単独のクラスターを形成することが見て取れる。同様のクラスターとさらに詳細な遺伝的多様性に関する研究は、HUGO Pan-Asian SNP Consortium[149]によってなされている。

日本列島内部集団の遺伝的構造を解析した例として、7001人のサンプルを解析したYamaguchi-Kabata et al.(2008)[150]では、日本列島の人類集団が琉球クラスターと本土クラスターに分かれることをゲノムレベルで示した。これはミトコンドリアやY染色体の解析からも予想されていた、日本列島人類集団の二重構造モデルを支持する結果であった。しかし本土クラスターと琉球クラスターの遺伝的分化の程度は非常に小さく、そのためSNPの頻度の違いは大部分についてはわずかであった[151]

しかしYamaguchi-Kabata et al.(2008)ではアイヌ人の集団サンプルを解析してはいなかった。その後、斎藤成也ら総合研究大学院大学により、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人と琉球人を含む日本列島人の大規模なDNA分析が行われた。

その結果アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、沖縄にすむ日本人に次いでアイヌ人に近いことが示された[152][153]。また、アイヌ人は本土人との混血の度合いの差により個体間のばらつきがきわめて大きいが、遺伝的な多様性自体は本土人や沖縄人よりも低かった[注 9][154]。また、主成分分析およびfrappe分析から、アイヌ人個体の3分の1以上に本土日本人との遺伝子交流が認められた[152]。さらに、東アジアの他の30の人類集団のデータと日本列島人の比較調査が行われた。30集団のうちほとんどの集団が近縁のグループを形成したのに対し、本土日本人、沖縄人、アイヌ、韓国人、ウイグル人ヤクート人のみが大きく乖離していた。このうち日本列島の三集団はアイヌ、沖縄人、本土人の順に同傾向の乖離を示し、縄文人の影響を受けていることが確かめられた形となった[注 10]。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する[155]

アイヌ人と琉球人は、東ユーラシア人の系統樹においてクラスターを形成しており、ブートストラップ確率(推定系統樹の信頼度)は100%であった。さらにこのクラスターは、系統樹上で、本土日本人とのクラスターを形成していた[156]

また、アイヌ人を縄文人に見立て、他の日本列島人と比較すると、本土日本人には14‐20%[157]、沖縄人には27‐30%[158]の縄文人の血が伝わっていると推定された。

また、日本を七地域に分けてその遺伝的距離を測った研究では、沖縄と他の本土日本人との距離はその他の地域同士の距離よりも大きく離れていた[注 11]。沖縄人と個々の地域集団との関連でいえば、比較的地理的に近い九州だけではなく、東北の集団とも比較的共通性がみられることがわかった[159]。さらに別の調査では、出雲地域の集団[160]が東北の集団と遺伝的に近いことが判明した。またこれら沖縄、東北、出雲、南薩摩の集団は、関東の集団と比べて大陸の集団との遺伝距離が遠いという結果になった。これは、北九州、畿内、中部、関東などの政治文化の中心地には弥生時代の渡来人やその�