日本映画新社
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 合併解散 |
本社所在地 | 日本 東京都中央区京橋 (1951年 - 1962年) 〒141-0021 東京都品川区上大崎2-10-17 (1962年 - 2002年) 〒105-0004 東京都港区新橋6-20-1 (2002年 - 2009年) |
設立 | 1951年 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映像製作 フィルムライブラリー版権管理 |
主要株主 | 東宝 |
関係する人物 | 堀場伸世 重田一男 |
株式会社日本映画新社(にっぽんえいがしんしゃ、Nippon Eiga Shinsha Co., Ltd)は、かつて存在した日本の映画会社である。
前身は、第二次世界大戦中にニュース映画、国策宣伝映画を量産した社団法人日本映画社である。2008年(平成20年)4月1日、同社のライブラリー業務を東宝ステラに移管し、2009年(平成21年)4月24日をもって解散した[1]。
概要
[編集]政府関連団体や地方自治体、企業・民間団体、学校などのプロモーションビデオや、教材資料、テレビ番組の製作、ニュース映画のフィルムライブラリーの貸し出し、その他映像素材の販売・開発などを行っていた会社である。品川区上大崎に莫大な敷地を所有していた(現在はマンション「シティコート目黒」の4棟となっている)が、最終的な本社は東京都港区であった。
略歴
[編集]- 1939年 - 1951年 前史 ⇒ 日本映画社
- 1951年、株式会社日本映画社は、戦後の経営不振から、東宝の完全出資により、株式会社日本映画新社となる。
- 1952年、戦前から「日本ニュース」として上映していたニュース映画は、朝日新聞社との提携により「朝日ニュース」となる。
- 1953年、NHK総合テレビ放送開始(2月1日)に伴い、NHKニュースへの映像提供を行うが、わずか半年で終了する[2]。
- 1956年、カラコルムに取材した長編記録映画『カラコルム』、ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞。
- 1957年、南極大陸に取材した長編記録映画『南極大陸』公開。
- 1962年、東京映画の東京映画撮影所が世田谷区に移転し、JR目黒駅近くの膨大な敷地の同撮影所に入居、日映新社撮影所(品川区上大崎)とする[1]。
- 1968年、長編記録映画『ニイタカヤマノボレ』公開。
- 1975年、「朝日ニュース」1555号から、上映サイクルが週間から隔週となる。
- 1976年、朝日新聞社との提携を4月27日で解消、同年4月28日から独立した「日本ニュース」として再スタートする。
- 1985年、「日本ニュース」の公開サイクルが隔週から、3週間に1回になる。
- 1992年、「日本ニュース」1992年第13号(通算1944号)で終刊。
- 2002年、上大崎から港区新橋に移転[1]。
- 2008年、記録映像を東宝子会社の東宝ステラに移管[1]。
- 2009年、解散[1]。
版権
[編集]同社が管理する版権は下記の通り[3]。2008年にすべて東宝ステラに移管された。
- 株式会社日本映画新社の製作物
- 1.の前身である社団法人日本ニュース映画社、社団法人日本映画社、株式会社日本映画社の製作物
- 東宝の前身である東宝映画株式会社文化映画部の製作物
- 3.の前身である株式会社写真化学研究所、株式会社ピー・シー・エル映画製作所、株式会社ゼー・オースタヂオの非劇映画製作物
- 3.の文化映画部に設置された東宝國策映画協会の製作物(『皇道日本』、1939年)
- 東宝教育映画部、およびその後身の東宝教育映画株式会社の劇映画を含む製作物
1954年までのニュース映画素材と版権は、その後日本放送協会に譲渡され、「NHK戦争証言アーカイブス」のひとつとしてインターネット公開が進んでいる。また1946年までのほとんどの作品が川崎市市民ミュージアムで、一部素材が昭和館で上映された。1955年から65年のニュース素材は同社がデジタルアーカイヴ化し、ブログに公開していたが、現在は諸般の事情で中止となっている[4]。
日本ニュース
[編集]1951年に第312号まで上映された「日本ニュース」は、1952年に朝日新聞社との提携により「朝日ニュース」として再出発したが、その第1号が日本ニュースとしての通算331号として扱われた。このため、日本ニュースの313号から330号は欠番となっている。この欠番の製作された形跡はない。日映新社側はこの件を、終戦直後に同社が経営難に陥った混乱期から、「三一三」の縦書きをスタッフが「三三一」と誤って確認したものではないかと推測している。一方、朝日新聞社史によれば、戦前の「朝日世界ニュース」が330号で打ち切られていたため、この続編として敢えて331号からスタートしたとのことである。
「朝日ニュース」は第1582号まで製作され終了。また「日本ニュース」に戻るが、号数はそのまま継承し再スタート第1号は、1583号となった。しかし、1979年12月19日発行・1678号を最後に通算号数の表示はなくなり、1980年以後は「西暦年数+その年の発行号数」(例「1980年・第1号」)とされた(東宝ステラ『映像資料館・日映アーカイブ』ホームページより)。
テレビ番組の制作
[編集]註
[編集]外部リンク
[編集]- 日本映画新社(当時のWebサイト) - ウェイバックマシン(2007年7月4日アーカイブ分)
- 現在は別のWebサイトとなっている
- 日本ニュース|NHK戦争証言アーカイブス
- 朝日ニュース昭和映像ブログ - デジタルアーカイブ化された昭和30年代の「朝日ニュース」を公開
- 映像資料館 日映アーカイブ