星野淳一郎

星野 淳一郎(ほしの じゅんいちろう、1960年 - 2017年12月1日)は、日本テレビディレクター

笑っていいとも!』、『夢で逢えたら』、『ダウンタウンのごっつええ感じ』などフジテレビを代表するバラエティ番組のディレクターとして知られ、主にウッチャンナンチャンダウンタウンの番組で演出・監修業務を担当した。

来歴・人物

[編集]

早稲田実業学校ではブラスバンド部に所属し[1]、高校生の頃からアルバイトとしてフジテレビでADを務めていた。『THE MANZAI』のアルバイトADだった学生時代に、番組のターゲットを学生に当てることを発案し、大学の落語研究会プロレス研究会に動員をかけて約400人の学生を集め観覧をさせたことで若者の間に漫才ブームを巻き起こした[2]

早稲田大学卒業後、1983年にバイト先だったフジテレビにフリーディレクターとして契約。編成局第二制作部(現・編成制作局バラエティー制作センター)で、同期の吉田正樹と共に横澤彪班に所属した[3]。フジテレビとの契約が切れた後は、日本テレビなどでもディレクター・番組演出家・スーパーバイザーとして、バラエティ番組中心に演出や監修を担当する。その後『笑う犬』シリーズのチーフプロデューサーを担当することとなった元同僚の吉田に誘われ同番組のプロデューサーに就任し、後進のディレクターの指導育成などを任された。

主に、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンの番組を担当。日本テレビの『24時間テレビ』に対抗すべく、フジテレビでの24時間番組『1億人のテレビ夢列島FNSの日)』の企画書を、高校生時代に作り上げていた。26歳で第1回放送の全てのコーナー台本を書き上げるだけでなく、チーフディレクターとして取り仕切った[2]。吉田曰く、「素晴らしい演出家というよりも、スーパーADだった」と形容している[1]

2017年12月に逝去。葬儀での弔辞は吉田が読んでいる。

手がけたテレビ番組

[編集]

フジテレビ

[編集]

フジテレビ以外

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 伝説のテレビマン・星野淳一郎とは何者だったのか - 盟友・吉田正樹の証言(前編) (1)”. マイナビニュース (2018年1月13日). 2021年9月10日閲覧。
  2. ^ a b 高校時代にフジ版『24時間TV』を企画!? 『ごっつ』『夢逢え』を作った“伝説”のテレビマンを偲んで(てれびのスキマ) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2021年9月10日閲覧。
  3. ^ 但し、吉田は入社直後に営業局へ配属されたため、AD就任は星野より1年遅れることとなった。

関連項目

[編集]