曙 (雷型駆逐艦)
曙 | |
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日本に回航途中ツーロンに寄港した「曙」(1899年10月16日-21日)[1] | |
基本情報 | |
建造所 | ヤーロー社[2] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 水雷艇駆逐艇[3] → (三等[4])駆逐艦[5] |
母港 | 1915年時:横須賀[6](第4駆逐隊:大湊[7]) |
艦歴 | |
計画 | 第一期拡張計画[8](1896年度[9]) |
発注 | 1897年4月30日製造契約[10] |
起工 | 1898年2月22日[11] |
進水 | 1899年4月25日[11][12] |
竣工 | 1899年7月3日[9] |
除籍 | 1921年4月30日駆逐艦籍[5][13] |
その後 | 二等掃海艇→雑役船→廃船 |
要目 | |
排水量 | 345英トン[5] |
長さ | 220 ft 8 in (67.259 m)[2][14] |
幅 | 20 ft 6+11⁄16 in (6.266 m)[14] |
深さ | 13 ft 08 in (4.166 m)[14] |
吃水 | 計画:5 ft 2+3⁄8 in (1.584 m)[2][14] |
ボイラー | ヤーロー式缶 4基[15] |
主機 | 直立3段4筒レシプロ 2基[16] |
推進 | 2軸[16] |
出力 | 計画:6,000馬力[2][15] |
速力 | 計画:31ノット[2][15] |
燃料 | 計画:石炭100英トン(全量)[17] 日露戦争時:石炭90トン(満載)[18][19] |
乗員 | 定員:52名[20] |
兵装 | 竣工時[15] 12ポンド砲 1門 5.7cm砲 5門 朱式[16]18インチ(45.7cm)発射管 2門 |
曙(あけぼの)は、日本海軍の駆逐艦[5]。 艦名は「夜明け」の意味[5]。 同名艦に吹雪型駆逐艦(特II型、綾波型)の「曙」がある為、こちらは「曙 (初代)」や「曙I」などと表記される。
艦歴
[編集]建造
[編集]1897年(明治30年)4月30日にヤーロー社と駆逐艇2隻(第五号、第六号駆逐艇)の製造契約を結ぶ[10]。 1898年(明治31年) 2月22日起工[11]。 3月16日、製造中の「第五号水雷艇駆逐艇」を「曙」と命名した[21]。 3月21日に軍艦及水雷艇類別等級が定められ、「曙」は水雷艇籍の駆逐艇に類別された[3]。 6月29日に海軍定員令が改定され、それによると「曙」は佐世保水雷団水雷艇隊所属となる(以降所属の水雷艇隊は海軍定員令による)[20]。 1899年(明治32年) 6月30日に工事が完成し、7月3日引き渡された[22]。 7月6日、佐世保水雷団第一水雷艇隊所属[23]。
回航
[編集]回航員は同年6月3日、郵船会社所有「讃岐丸」に乗船し横浜港を出港、8月1日ロンドン着、翌2日にウエストインデアドックで「曙」に乗艇、午後4時に軍艦旗を掲揚した[22]。 9月10日午前8時23分にグリーンハイスを抜錨、ジールを経由し、翌11日午後3時51分ポーツマスに到着、午後4時に第2浮標に繋留した[24]。 ポーツマス停泊中に「敷島」が入港し入渠したのを目撃した[25]。 9月15日10時45分ポーツマスを出港[25]、 ブレスト、リスボン、ジブラルタル、バルセロナ、ツーロン等に寄港し[26]、 11月6日ポートサイド港に入港した[27]。 11月9日、スエズ運河航行中に舵取機が故障、運河東岸に近づいたために後進を掛けたが、その時に左舷スクリューを破損した[28]。 熱帯地方に長期滞在することによる健康の問題、通過予定時期のシナ海の荒天状況などを考慮し、右舷1軸のみで引き続き航海することを決定[29]、 予備のスクリューはシンガポールへ送るように手配した[30]。 11月14日スエズ出港[31]、 シンガポールまでは右舷軸のみを使用し平均9.5ノットで航行したが、この間主機の故障は無かった[32]。 「曙」はアデン、コロンボ等を経由し[26]、 12月26日シンガポール着、午後2時14分に投錨した[33]。 同地でスクリューを交換[34]、 1900年(明治33年) 1月7日午前8時10分にシンガポールを出港[35]、 サイゴン、香港、厦門などを経由し[26] 2月8日佐世保に入港した[36]。 2月15日佐世保を出港、姫島、呉を経由し、2月20日に横須賀着、午前7時50分横須賀軍港第4浮標に繋留した[37]。
回航後
[編集]同1900年(明治33年)5月15日、横須賀水雷団第一水雷艇隊所属[38]。 6月22日、軍艦籍に編入され駆逐艦に類別[9]、 軍艦曙の定員は55名とされた[39]。
日露戦争
[編集]1904年(明治37年)に日露戦争が勃発した際には第1艦隊第2駆逐隊に所属していた[40]。旅順口攻撃、黄海海戦、日本海海戦などに参加した[9][40]。
日露戦争後
[編集]1905年(明治38年)12月12日駆逐艦は軍艦から独立した艦種になり、「曙」も軍艦から駆逐艦へ艦籍を変更した[9]。 また同日に内令第751号で駆逐隊編制が定められ(これ以前は各鎮守府が駆逐隊を定めていた[41])、 「雷」「電」「曙」「朧」の4隻で第四駆逐隊(大湊要港部所属)を編制した[42]。 以降第四駆逐隊所属だった[43]。
1909年(明治42年)11月、大修理(大改造)を施行した[12]。
曙 | |
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1918年(大正7年)頃、横須賀軍港での「曙」。掃海設備を艦尾に設置している。[44] | |
基本情報 | |
艦種 | 三等駆逐艦[12] |
母港 | 横須賀(1920年時)[12] |
艦歴 | |
要目(1920年調[12]) | |
常備排水量 | 345英トン |
長さ | 220 ft 3 in (67.132 m) |
最大幅 | 20 ft 6+11⁄16 in (6.266 m) |
吃水 | 5 ft 2+3⁄8 in (1.584 m) |
ボイラー | ヤーロー式缶 4基 |
主機 | 直立4気筒3段レシプロ |
推進 | 2軸 |
出力 | 6,000馬力 |
速力 | 31ノット |
燃料 | 石炭:110トン |
乗員 | 62名 |
兵装 | 40口径安式3インチ砲[45] 2門 山内6ポンド砲[45] 4門 水上発射管 2門 |
搭載艇 | 4隻 |
1912年(大正元年) 8月28日艦艇類別標準が改定され、駆逐艦には一等から三等までの等級が付与された[46]。 駆逐艦「曙」の等級は三等(計画排水量600噸未満)とされた[4]。 11月6日朝[47]、第4駆逐隊は湾口で対抗運動中に2番艦「漣」の艦首が1番艦「曙」の艦尾に衝突した[48]。 「漣」は艦首の水線上部分が屈曲したが、「曙」に損傷は無かった[48]。
1913年(大正2年) 10月9日に「雷」がボイラー破裂の事故を起こした。 同じ第四駆逐隊の「曙」と「朧」は罐鑽通試験を行い[49]、 各ボイラーの水室共管板の屈曲部に亀裂が発見された[50]。 いわゆる金属疲労の状態で、低圧の使用でも危険と判断された[51]。
1917年(大正6年)4月1日、駆逐隊を第四駆逐隊(大湊)から第八駆逐隊(横須賀)へ移動した[52]。 1919年(大正8年) 9月、横須賀で掃海検定を行った[53]。 11月1日、第八駆逐隊から除かれた[54] 1921年(大正10年)4月30日、駆逐艦籍より除かれ(除籍)[13]、 艦艇類別等級表からも削除された[55]。
その後
[編集]同日(1921年4月30日)特務艇に編入、二等掃海艇に類別された[9]。 6月21日雑役船に編入、標的船(魚雷標的船[56])に指定された[9]。 1922年(大正11年)に標的船への改造工事を行い、幕的と被曳航装置を装備した[57]。
1924年(大正13年)9月23日に老朽化の為に使用に耐えないと判断されて還納返艇へ編入の認許、同月26日に編入された[58]。 11月20日に呉海軍工廠が現状の検査を行い、廃船が適当と判断[59]。 1925年(大正14年)5月2日(または4月11日[60])廃船認許、5月20日呉海軍工廠に引き渡された[56]。
公試成績
[編集]実施日 | 種類 | 排水量 | 回転数 | 出力 | 速力 | 場所 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1899年5月4日 | 新造公試 | 312.5英トン | 435.66rpm | 31.16ノット | 海軍里程測定所(テムズ河畔) | 吃水前部5ft、後部5ft6in | [11] | |
1899年5月5日 | 31.08ノット | [61] | ||||||
不明(日露戦争以前) | 311英トン | 5,130馬力 | 27.7ノット | [18] |
艦長
[編集]※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 回航委員長
- 河瀬早治 少佐:1899年1月23日 - 1900年6月22日
- 艦長
- 駆逐艦長
- 山内四郎 少佐:1905年12月12日 - 1906年1月25日
- (兼)大瀧新蔵 大尉:1906年1月25日 - 7月3日
- 井上猪之吉 大尉:1906年7月3日 - 1907年11月13日
- (兼)井上鉄治 大尉:1907年11月13日 - 11月22日
- 今橋重良 大尉:1907年11月22日 - 1909年12月1日
- 岸科政雄 大尉:1909年12月1日 - 1911年5月23日
- 原田精次 大尉:1911年5月23日 - 1912年12月1日
- 中村有年 大尉:1912年12月1日 - 1914年5月27日
- 宮田源八 大尉:1914年5月27日 - 不詳
- 吉岡清 大尉:不詳 - 1915年9月1日
- 柳沢恭亮 大尉:1915年9月1日 - 1916年1月28日
- 渡辺汀 大尉:1916年1月28日 - 12月1日
- 松川晃 大尉:1916年12月1日 - 1917年4月1日
- 森田弥五郎 少佐:1917年4月1日 - 6月1日
- 荒糺 大尉:1917年6月1日 - 1918年6月13日
- 日暮豊年 大尉:1918年6月13日 - 12月1日
- 高橋頴雄 大尉:1918年12月1日 - 1919年7月12日
- 中田操 大尉:1919年7月12日[62] - 1919年12月1日[63]
- 荻野仲一郎 大尉:1919年12月1日[63] - 1920年6月1日[64]
- 木幡行 大尉:1920年6月1日 - 1920年12月1日
- 横山茂 大尉:1920年12月1日[65] - 1921年4月1日[66]
- (兼)久保九次 大尉:1921年4月1日 - 1921年6月1日
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ #日本海軍全艦艇史(1994)下巻p.505, 写真No.1256の解説
- ^ a b c d e #日本近世造船史明治(1973)p.466
- ^ a b #M31達/3月(1)画像16-17、明治31年3月21日達第35号
- ^ a b #T1達/8月画像33-34、大正元年8月28日附達第12号
- ^ a b c d e 日本海軍艦船名考 1928, p. 94「104 曙 あけぼの Akebono.」
- ^ #内令提要7版/艦船(1)画像1-3、艦艇本籍別一覧表 大正四年四月一日調。
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.74-75、大正5年12月1日編制。
- ^ #海軍制度沿革8(1971)p.9
- ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、284頁。
- ^ a b #公文備考別輯雷電他/水雷艇駆逐艇製造(1)画像42、明治30年6月ロンドン発電報『「ヤッロー」四月三十日「ソーニクロフト」五月六日條約調印済』
- ^ a b c d #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像5-6、「進水及ヒ公試運転」
- ^ a b c d e #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」
- ^ a b #T10達/4月(3)画像48、大正10年4月30日達第87号「軍艦 秋津洲 右帝國軍艦籍ヨリ除カル 驅逐艦 朧 驅逐艦 曙 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル」
- ^ a b c d #日本近世造船史明治(1973)p.319、英国製造駆逐艦設計要領表
- ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)別冊、表12
- ^ a b c #帝国海軍機関史(1975)下巻p.114-115(第三巻 九四~九五頁)
- ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.142(第三巻 一二二頁)
- ^ a b #帝国海軍機関史(1975)下巻p.284、戦役従軍艦艇及其の最近高力運転成績。
- ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.284(第三巻 二四四頁)
- ^ a b #海軍制度沿革10-1(1972)pp.313-314、明治31年6月29日内令第49号。
- ^ #M31達/3月(1)画像6、明治31年3月16日達第27号
- ^ a b #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像5、「領収及ヒ軍艦旗掲揚ノ事」
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.364、明治32年7月6日内令第63号。
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像19
- ^ a b #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像21
- ^ a b c #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像17-18、「回航中各地石炭淡水水先安念料一覧表」
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像40
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像41-42
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像43-44
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(2)画像44、明治32年11月9日スエズ発電報「スエズヘ著運河航海中舵取機械故障ノ為メ左舷推進螺旋破損少ナカラズ豫備品新嘉坡至急回送アリタシ」
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像44
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像50
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像49
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像49-50
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像51
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像64
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(1)画像65-66
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.378、明治33年5月15日内令第43号。
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.403、明治33年6月22日内令第75号、軍艦曙定員表。
- ^ a b 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、395頁。
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.64
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)pp.64-65、明治38年12月12日内令第751号。
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)pp.64-75
- ^ #日本海軍全艦艇史(1994)下巻p.505, 写真No.1257の解説
- ^ a b #M45(T1)公文備考52/兵器簿(砲熕)5(2)画像33
- ^ #T1達/8月画像32、大正元年8月28日附達第11号
- ^ #M45(T1)公文備考42/駆逐艦(3)画像26、11月8日漣駆逐艦長からの電報「六日朝曙ノ艦尾ニ接触シ艦首ヲ少シク破損ス」
- ^ a b #M45(T1)公文備考42/駆逐艦(3)画像26、11月6日横鎮参謀からの電話連絡「今六日朝湾口ニ於テ対抗運動中橋立厳島ヲ過伴シツツアリシ第四駆逐隊ノ二番艦漣ハ一番艦曙ノ艦尾ニ衝突シ水線上ニ於テ艦首ヲ屈曲○生シ第一区ニ少許ノ浸水アリ八浬ノ速力ニテ単独帰港直ニ入渠セリ歓艦式参列ニ差支ナキ見込人員ニ損傷ナシ曙損傷ナシ」
- ^ #T2公文備考21/試験(4)画像33、「第四駆逐隊罐鑽通試験ニ付キ検査実況ノ件」
- ^ #T2公文備考21/試験(4)画像34-36
- ^ #T2公文備考21/試験(4)画像36-37
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.74、大正6年4月1日内令第74号。
- ^ #T8公文備考58/掃海検定(8)画像5-6、「大正八年横須賀鎮守府掃海検定経過概要 一.作業の実施経過」
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.77、大正8年11月1日内令第347号。
- ^ #T10達/4月(3)画像48、大正10年4月30日達第88号『艦艇類別等級別表中軍艦ノ欄内「秋津洲」ヲ、同驅逐艦ノ欄内「曙、朧」ヲ削除ス』
- ^ a b #T14公文備考24/引渡授受(2)画像33-34、大正14年5月29日呉港第14号の160
- ^ #T11公文備考35/改造(1)画像31-39、大正11年3月1日官房第254号の2、大正11年1月19日呉工第4号の79。
- ^ #T13公文備考24/保管画像11
- ^ #T14公文備考25/時雨、夕凪、有明、吹雪 官房第1626号画像20、魚雷標的船曙検査報告
- ^ #T14公文備考25/時雨、夕凪、有明、吹雪 官房第1626号画像12-18、大正14年4月11日官房第1282号の2、大正14年1月9日呉鎮第32号の2。
- ^ #公文備考別輯 水雷艇駆逐艇 2/曙回航(2)画像31、明治32年5月5日ロンドン発電報「水雷艇曙公試運転済其結果下ノ如シ 三拾壱海里〇八」
- ^ 『官報』第2082号、大正8年7月14日。
- ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ 『官報』第2349号、大正9年6月2日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ 『官報』第2598号、大正10年4月2日。
参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター
- 防衛研究所
- 「駆逐艦の部(3)」『明治45年/大正元年 公文備考 艦船 16 艦船遭難災害 1 巻42』、JACAR:C08020060300。
- 「兵器簿(砲熕)5(2)」『明治45年/大正元年 公文備考 兵器 5 巻52』、JACAR:C08020073200。
- 「試験(4)」『大正2年 公文備考 艦船2 巻21』、JACAR:C08020258900。
- 「掃海検定(8)」『大正8年 公文備考 演習13 巻58』、JACAR:C08021380900。
- 「改造(1)」『大正11年 公文備考 艦船3 巻35』、JACAR:C08050449400。
- 「保管」『大正13年 公文備考 艦船4 巻24』、JACAR:C08051098700。
- 「引渡授受(2)」『大正14年 公文備考 艦船4 巻24』、JACAR:C08051370700。
- 「時雨、夕凪、有明、吹雪 官房第1626号」『大正14年 公文備考 艦船5 巻25』、JACAR:C08051373000。
- 「水雷艇駆逐艇雷、電、東雲、叢雲、曙、漣、夕霧、不知火、陽炎、薄雲、朧、霓製造に関する件(1)」『公文備考別輯 新艦製造書類 雷 電 東雲 叢雲 曙 漣 夕霧 不知火 陽炎 薄雲 朧 霓 1 明治29~32』、JACAR:C11081491600。
- 「水雷艇駆逐艇曙本邦へ回航に関する件(1)」『公文備考別輯 新艦製造書類 雷 電 東雲 叢雲 曙 漣 夕霧 不知火 陽炎 薄雲 朧 霓 2 明治29~32』、JACAR:C11081493600。
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- 「3月(1)」『明治31年 達 完』、JACAR:C12070040500。
- 「8月」『大正元年 達 完』、JACAR:C12070064400。
- 「4月(3)」『大正10年 達 完』、JACAR:C12070078700。
- 『第72号 7版 内令提要 完/第3類 艦船(1)』。Ref.C13072068600。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻四の1』 明治百年史叢書 第175巻、原書房、1971年11月(原著1939年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 『官報』