最古客車
最古客車(さいこきゃくしゃ)は、日本の鉄道の開業時に使用されていた客車の通称。
最古客車図
[編集]1921年(大正10年)に鉄道省が発行した『日本鉄道史 上篇』には、「最古客車圖(図)」として以下の解説が記されていた[1]。
本圖ハ明治五年新橋及神戸ニ於テ組立テタル下等客車ニシテ英國ノ製造ニ係リ三十人ヲ定員トシ外部ノ出入口ニハ現今ノ如キ「ラッチ」ナク旅客乘車スレハ車長ハ鍵ヲ以テ扉ヲ閉鎖シタリ、車體ハ長サ十五呎、幅六呎六吋、高サ九呎九吋〔孰レモ外矩〕緩衝器面間ノ長サ十七呎九吋、蹈段外側間ノ幅七呎六吋、燈頂マテノ高サ十呎六吋トス
— 『日本鉄道史 上篇』[1]
要約すると「明治5年に新橋工場と神戸工場で組み立てられたイギリス製の全長15ft・全幅6ft 6in・全高9ft 9in・定員30人の三等客車」。
1930年(昭和5年)に発行された『明治工業史 機械・建築篇』においても、「四輪客車の大さ」として以下の解説が記されていた[2]
車 體 外 部 寸 法 | 床面積(平方呎) | 自重(噸) | 固定輪軸距(呎) | ||
---|---|---|---|---|---|
長さ(呎・吋) | 幅(呎・吋) | 高さ(呎・吋) | |||
十五・〇〇 | 六・六 | 一〇・四―一〇・八 | 八五 | 四二―四七 | 八 |
明治五年、京濱間鐵道開通當時、使用せる四輪客車六十輛(中略)は、何れも神戸工場に於いて建造せるものにして、最も狭小なるものに属せり。是等は現存せるもの皆無なる爲、構造の詳細は不明なれども、其の主要寸法は左の如し。定員は一等車十二人、一・二等車十四人、三等車三十人なり。三等車にありては、定員一人に對する自重僅に三百十三封度、床面積は二・八二平方呎に過ぎず。 — 『明治工業史 機械・建築篇』[2]
これらに基づき、長らく「最古客車図」の小型客車が「明治5年の新橋駅 - 横浜駅間の開業時に使用されていた日本最古の客車」とされてきた[3]。
1968年(昭和43年)、青木栄一の調査によって「最古客車図」タイプの客車(英国形)は1874年(明治7年)に開業した大阪駅 - 神戸駅間で使用されたものであり、新橋駅 - 横浜駅間で使用された“最古客車”は両端にオープンデッキのついた全長が長い客車(米国形)であったことが判明した[4]。
2018年(平成30年)、イギリス人技師のジョン・イングランドのひ孫が「大阪駅 - 神戸駅間の工事を撮った写真」を保存していたことが林田治男の調査によって明らかになり、武庫川橋梁を渡る「最古客車図」タイプが写っていることから、阪神間で運用されていたことの確証が得られた[5]。
ちなみに「最古客車図」の出典は、1893年(明治26年)にフランシス・ヘンリー・トレビシックが著した『The Outline Leading Dimensions, Weights and Capacities of the Different Classes of Carriages & Wagons』とされ、『日本国有鉄道百年史』にも図面が採録されている[6]。また、『日本鉄道紀要[7]』に掲載された「二等郵便合造客車[注釈 1]」の写真が参考として用いられることが多々あった[3][4]。
なお、1914年(大正3年)開催の東京大正博覧会の時点で、販売された絵ハガキには「我邦創業當時之客車」として図と解説が掲載されている[8]。
客室面積 | 87平方呎 |
---|---|
定員 | 30人 |
最大長副高 | 18′-0″×7′-0″×10′-8″ |
製造年月 | 不詳 |
代償 | 1,100円 |
復元
[編集]下等客車
[編集]昭和35年頃、交通博物館では「弁慶号と開拓使号客車のように1号機関車に見合った客車」の新製を検討したものの、予算の都合上で白紙となった[9]。鉄道100年を3年後に控えた1969年(昭和44年)、“最古客車”を復元することが正式に決まり、資料調査が始まった。製造元であるイギリスのメトロポリタン合同客貨車会社に照会したり、国内の古文献を調査したものの、資料は皆無であった[9][注釈 2]。「最古客車図」のほか、交通博物館が所蔵している下等客車の縮尺1/15模型や実物大モックアップ、1876年(明治9年)製の初代1号御料車を参考に国鉄大井工場で復元製作された。車体側面には「下等/THIRD CLASS」の表記がされ、窓には「ガラス注意」を意味する白線が引かれた。
1970年(昭和45年)8月26日に交通博物館正面玄関脇[注釈 3]に搬入され、10月14日に除幕された。ほどなくして1号機関車とともに館内展示[10]となった。なお、展示に際して用いられた双頭レールは、かつて高架下にあった旧 鉄道博物館跡地から発掘したものであった[9]。
2007年(平成19年)より、鉄道博物館で「創業期の客車 (Early Passenger Carriage)」として展示され、近年では解説板に次のような説明がある。
(前略)この車両は1870年代後半に京阪神間で使用されたとされる客車を復元したものです。1872年に開業した新橋~横浜間では、車内の中央に通路のあるタイプの客車が使用されていたようです。 — 鉄道博物館「創業期の客車」解説板
関西
[編集]交通科学博物館は、1993年(平成5年)4月から10月までリニューアル工事を行い、それまで屋外展示していた1800形を館内の第2室に移設した[11]。それに合わせて、カットモデルの「明治中期の三等客車[12]」が製作された[11]。2016年(平成28年)からは京都鉄道博物館に展示されている。
中等客車
[編集]2020年(令和2年)、青梅鉄道公園に展示されていた110形が神奈川県横浜市の桜木町駅(初代横浜駅)併設の商業施設「CIAL桜木町 ANNEX」の「旧横濱鉄道歴史展示(通称・旧横ギャラリー)」に移設されることに合わせて、専門家の協力を基に中等客車[7]が復元製作された[13]。両端にはオープンデッキがあり[注釈 4]、車体側面には「ろ九中等/SECOND」の表記がされている。6月27日の新南口の供用開始とともに公開された[14]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 「第二節 東京横浜間鐵道」『日本鉄道史 上編』1921年。doi:10.11501/960214 。
- ^ a b 「第二節.明治年間に於ける國有鐵道客貨車 其六.客車」『明治工業史 機械・建築篇』1930年、323頁。doi:10.11501/1226055 。
- ^ a b 臼井茂信「マッチ箱以前」『鉄道ピクトリアル』第88号、電気車研究会、1958年11月、20-23頁。
- ^ a b c d 青木栄一「『最古客車図』への疑問」『鉄道ピクトリアル』第205号、電気車研究会、1968年1月、19-22頁。
- ^ 「西の鉄路、夜明け活写 国内最古、鉄製「武庫川橋りょう」 英技師子孫保存、情報求む」『毎日新聞』2018年10月20日。2024年9月11日閲覧。
- ^ 青木栄一「わが国の鉄道における初期の客車の変遷について」『都留文科大学研究紀要』第3号、都留文科大学、1966年11月、20-64頁、NAID 40002478412。
- ^ a b c 「日本鉄道紀要」『明治期鉄道史資料』補巻3、日本経済評論社、1981年9月、doi:10.11501/12121759。
- ^ “新舊客車之圖”. MEIJI TAISHO 1868-1926 (2006年12月30日). 2024年9月11日閲覧。
- ^ a b c 田邊幸夫「わが国最古の客車 大井工場で復元される」『鉄道ファン』第116号、交友社、1971年1月、78-79, 142-143。
田邊幸夫「車両とともに30年 大井工場OBの思い出ばなし㊵」『鉄道ジャーナル』第190号、鉄道ジャーナル社、1982年12月、134-141頁。 - ^ “交通博物館 館内のごあんない”. 交通博物館. 1998年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月11日閲覧。
- ^ a b 東憲昭「装いも新たに「交通科学博物館」オープン」『JRガゼット』第533号、交通新聞社、1993年11月、40-41頁。
- ^ “交通科学博物館: 第2室 鉄道の誕生”. 1998年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月11日閲覧。
- ^ 『桜木町駅がますます便利になります! ~新改札口の利用開始およびJR桜木町ビルの開業について~』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道横浜支社、2020年1月23日 。
- ^ “桜木町駅新南口に蒸気機関車やジオラマ、旧横濱鉄道歴史展示「旧横ギャラリー」充実!”. はまこれ横浜. (2020年6月28日)
関連項目
[編集]- 日本の客車史#創業時代
- 日本の鉄道開業
- WAGR AI Class Passenger Carriage - 西オーストラリア州政府鉄道で創業期に使用されたメトロポリタン鉄道車両会社製の二軸客車。
外部リンク
[編集]- 創業期の客車(レプリカ)- 鉄道博物館
- NHKによる鉄道開業当時のCG再現 - YouTube