本多忠盈

 
本多忠盈
時代 江戸時代中期
生誕 享保17年(1732年
死没 明和4年閏9月16日1767年11月7日
官位 従五位下中務大輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治
石見浜田藩
氏族 真田氏本多氏(平八郎家)
父母 真田信弘:不詳
養父本多忠敞
兄弟 真田幸詮真田信安柳生俊峯真田繁信忠盈柳沢信鴻継室、一柳末栄継室ら
正室本多忠敞の娘
側室:法王院
忠典
養子忠粛
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本多 忠盈(ほんだ ただみつ)は、江戸時代中期の大名石見国浜田藩の第2代藩主官位従五位下中務大輔。忠勝系本多家宗家10代。

略歴

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信濃国松代藩主・真田信弘の6男。本多忠敞の養子となる。松代藩初代・真田信之の正室・小松姫本多忠勝の娘であることから、忠盈自身も忠勝の血をひいていることとなる。正室は忠敞の娘。子に本多忠典(次男)。官位は従五位下、中務大輔。

宝暦9年(1759年)に忠敞の死去により家督を相続した。明和4年(1767年)35歳で死ぬと、家督は忠敞の実子・忠粛が継いだ。

系譜

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父母

正室

側室

  • 法王院 ー 松井氏

子女

養子

出典

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