本多忠粛
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦9年(1759年) |
死没 | 安永6年5月8日(1777年6月13日) |
官位 | 従五位下中務大輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 石見浜田藩主→三河岡崎藩主 |
氏族 | 本多氏(平八郎家) |
父母 | 父:本多忠敞、母:不詳 養父:本多忠盈 |
兄弟 | 忠粛、本多忠盈正室、於歌 |
妻 | 正室:牧野貞長の娘 |
子 | 養子:忠典 |
本多 忠粛(ほんだ ただとし)は、江戸時代中期の大名。石見国浜田藩の第3代藩主、三河国岡崎藩の初代藩主。官位は従五位下・中務大輔。忠勝系本多家宗家11代。
略歴
[編集]先々代で浜田藩初代藩主・本多忠敞の長男。前藩主・本多忠盈の養子となる。
明和4年(1767年)に前藩主・忠盈の死去により家督を相続する。明和6年(1769年)11月18日に三河岡崎藩に移封となる。安永6年(1777年)に死去すると、前藩主・忠盈の実子・忠典が跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 牧野貞長の娘
養子