朴明哲

朴 明哲
박 명철
生年月日 1941年9月15日
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 平安南道 平壌府
出身校 朝鮮体育大学
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
配偶者 金英淑

当選回数 4回
在任期間 2003年9月 -
最高指導者 金正日1994年 - 2011年
金正恩(2011年 - )

在任期間 2017年4月11日 - 2021年9月29日
最高人民会議
常任委員会委員長
金永南1998年 - 2019年
崔竜海2019年 - )

在任期間 2014年4月9日 - 2016年6月29日

朝鮮民主主義人民共和国の旗 最高人民会議法制委員会委員
在任期間 2014年4月9日 - 2016年6月29日

在任期間 1994年3月 - 2004年3月
2010年11月 - 2012年10月

その他の職歴
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会委員
2010年9月 - 不明)
朝鮮民主主義人民共和国の旗 体育相
2010年6月 - 2012年10月
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国国防委員会参事
2009年2月 - 不明)
朝鮮民主主義人民共和国の旗 体育指導委員会委員長
1999年11月 - 2004年3月
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朴明哲
各種表記
チョソングル 박명철
漢字 朴明哲
発音 パク・ミョンチョル
英語表記: Pak Myong-chol
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朴 明哲(パク・ミョンチョル、朝鮮語: 박명철1941年9月15日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国政治家朝鮮民主主義人民共和国オリンピック委員会委員長、内閣体育指導委員会委員長、祖国統一民主主義戦線書記局長兼議長[1]最高人民会議常任委員会委員、最高裁判所所長、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会参事などを歴任。プロレスラーの力道山の娘婿[2]。元重量挙げ選手。

経歴

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1941年、日本統治時代の朝鮮平安南道平壌に生まれる。朝鮮体育大学卒業。妻は力道山の娘金英淑農業相。娘は重量挙げ女子代表監督を務めた。妹の朴明善は内閣副総理を務めた。張成沢の側近とされた[3]

1993年には朝鮮民主主義人民共和国オリンピック委員会委員長に任命され、1998年に体育相に就任した。翌1999年には内閣体育指導委員会委員長に任命された。2002年釜山で行われた2002年アジア競技大会で選手団団長として参加した[4]2003年最高人民会議第11期代議員に選出された。

2003年末、張成沢も参加した、張に親しい幹部の子息の結婚式に参加した帰路、事故に遭った[2][注釈 1]

2004年にはオリンピック委員会委員長を解任され、内閣体育指導委員長に就任した。2009年には朝鮮民主主義人民共和国国防委員会参事に選出され[2]2010年にはオリンピック委員会委員長、朝鮮労働党中央委員会委員に選出された。この人事は失脚していた張成沢が復権し、側近であった朴が引き立てられたという。この際、金正日総書記国防委員長)から労いの言葉をかけられている[5]2012年には体育相を解任された。

2013年に側近として仕えた張成沢が粛清されたが、2014年の第13期最高人民会議代議員選挙での再選が確認され健在だった[6]2014年4月9日の最高人民会議第13期第1回会議で最高裁判所所長、最高人民会議法制委員会委員に選出されたが、2016年6月29日の最高人民会議第13期第4回会議で解任された[7]2017年1月に6.15共同宣言実践北側委員会委員長に任命され[8]4月11日には最高人民会議常任委員会委員に選出された[9]

2021年9月29日に開催された最高人民会議第14期第5回会議にて、最高人民会議常任委員会委員から召還された[10]

脚注

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注釈

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  1. ^ この事故を捜査する過程で、張成沢の側近が多数結婚式に参加していることが判明し、金正日は張が「権力欲に駆られ、分派行動をした」として謹慎処分を下し、側近の多くを労働者として地方に追放、処分が解除されたのは2年後のことであった[2]

出典

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参考文献

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  • 李相哲『金正日と金正恩の正体』文藝春秋〈文春新書〉、2011年2月。ISBN 978-4-16-660797-6 

参考サイト

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 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
金完洙
6.15共同宣言実践北側委員会委員長
2017年 -
次代
現職
先代
金炳律
最高裁判所所長
2014年 - 2016年
次代
姜潤石
(中央裁判所所長)
先代
朴学先
体育相
2010年 - 2012年
次代
李従茂
先代
朴学先
朝鮮民主主義人民共和国オリンピック委員会委員長
2010年 - 2012年
次代
李従茂
先代
朝鮮民主主義人民共和国オリンピック委員会委員長
1994年 - 2004年
次代
文在徳