東市来町

ひがしいちきちょう
東市来町
東市来町美山・沈壽官窯
町旗 町章
1967年4月1日制定
廃止日 2005年5月1日
廃止理由 新設合併
東市来町伊集院町日吉町吹上町日置市
現在の自治体 日置市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
日置郡
市町村コード 46362-1
面積 70.90 km2
総人口 13,206
(2005年4月1日)
隣接自治体 鹿児島市薩摩川内市市来町、伊集院町、日吉町
町の木 サザンカ
町の花 カンナ
東市来町役場
所在地 899-2239
鹿児島県日置郡東市来町長里87-1
外部リンク 東市来町
座標 北緯31度39分30秒 東経130度20分55秒 / 北緯31.65847度 東経130.34869度 / 31.65847; 130.34869座標: 北緯31度39分30秒 東経130度20分55秒 / 北緯31.65847度 東経130.34869度 / 31.65847; 130.34869
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

東市来町(ひがしいちきちょう)は、鹿児島県の西部、薩摩半島の中北部に位置した

2005年5月1日に、伊集院町日吉町吹上町と合併し、日置市となった。

地理

[編集]

薩摩半島の北西部に位置している町で、町域は南北9Km、東西16Kmに広がっていた[1]。地質は稲の耕作に適さない火山灰土壌シラス)が多くを占めているため、丘陵地の多くは畑地となっているが、江口川、大里川、神之川の3河川の流域には水田が分布している。

東市来町は2005年時点で伊作田、神之川、寺脇、長里、南神之川、宮田、美山、美山元寺脇、湯田、養母の10大字から構成されていた。このうち、南神之川、寺脇、宮田、美山は1956年(昭和31年)の下伊集院村分割の際に編入・設置された大字であり、美山元寺脇は新設合併前の2004年10月29日に美山の一部より分割され設置された大字である[2]

現在の日置市東市来町伊作田東市来町神之川東市来町寺脇東市来町長里東市来町南神之川東市来町宮田東市来町美山東市来町美山元寺脇東市来町湯田東市来町養母にあたる。

町名は、古代市来院の東半分を占めていたことに由来している[1]。また、同じく市来院に属していた部分の西半分は西市来村となり、後に市来町となった。

歴史

[編集]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、長里村、養母村、湯田村、伊作田村、神之川村が合併して東市来村が成立する。
  • 1937年(昭和12年)4月1日 - 町制施行により、東市来町となる。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 下伊集院村のうち大字寺脇、宮田、苗代川(編入時に美山に改称)の全域及び神之川の一部を編入。
  • 2005年(平成17年)5月1日 - 東市来町が伊集院町・日吉町・吹上町と合併し、日置市となる。

行政

[編集]

歴代村長

[編集]

町村制施行以降の村長を記載する。表記は『東市来町誌』473頁に基づく。但し、旧字体については新字体に置換えるものとする。

氏名 就任期間
初代村長 永山光二 1889年8月24日 - 1891年3月25日
二代村長 南郷兼知 1891年3月25日 - 1896年3月27日
三代村長 大迫半七 1896年3月27日 - 1896年6月26日
四代村長 上村良助 1896年6月26日 - 1897年3月
五代村長 岩重政恒 1897年3月 - 1907年1月
六代村長 斉藤仲蔵 1907年1月 - 1911年1月16日
七代村長 臼井直熊 1911年1月16日 - 1918年3月27日
八代村長 黒川十次郎 1918年3月27日 - 1922年4月6日
九代村長 上村平角 1922年4月6日 - 1922年9月10日
十代村長 谷山金次郎 1922年9月6日 - 1931年9月
十一代村長 浅谷時博 1931年9月 - 1932年3月20日
十二代村長・初代町長 南郷武夫 1932年3月20日 - 1942年3月
二代町長 斉藤貞行 1942年4月 - 1946年12月23日
三代町長 岩下方貞 1946年12月23日 - 1951年5月9日
四代町長 上村琢磨 1951年5月9日 - 1954年1月
五代町長 岩下方貞 1954年1月 - 1955年12月9日
六代町長 宮内時義 1955年12月9日 - 1962年12月9日
七代町長 元山篤二 1962年12月9日 - 1983年12月9日
八代町長 福田辰夫 1983年12月9日 - 1995年4月23日
九代町長 下茂孝一 1995年4月23日 - 2005年4月30日

姉妹都市・友好都市

[編集]
  • 日本の旗 日本 - 北海道 弟子屈町
    東市来町出身で釧路土木現業所長であった永山在兼が建設を指揮していた弟子屈町と阿寒湖間を結ぶ阿寒横断道路(現在の国道241号)は3年にわたる難工事となったが、1930年(昭和5年)には開通し、弟子屈町の発展の基礎を作ったとして出身地である東市来町と1983年11月に姉妹都市盟約を締結した。また2007年の市町村合併により日置市となった後も姉妹都市盟約は日置市に継承されている[4]

地域

[編集]

教育

[編集]

中学校

[編集]

小学校

[編集]
  • 東市来町立湯田小学校
  • 東市来町立鶴丸小学校
  • 東市来町立皆田小学校(合併後の2007年に湯田小学校に統合)
  • 東市来町立伊作田小学校
  • 東市来町立美山小学校
  • 東市来町立上市来小学校

交通

[編集]

最寄空港は鹿児島空港

鉄道

[編集]
東市来駅
湯之元駅

道路

[編集]

バス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.1061
  2. ^ 平成16年鹿児島県告示第1800号(同年10月29日発行「鹿児島県公報」第2031号所収。 原文)。
  3. ^ 『東市来町誌』東市来町 p.473
  4. ^ 弟子屈町の姉妹都市 - 弟子屈町役場HP 2011年2月11日閲覧。

関連項目

[編集]