東条御厨

東条御厨(とうじょうのみくりや)は、安房国長狭郡にあった御厨。現在の千葉県鴨川市付近と推定される。

吾妻鏡寿永3年(1184年5月3日条に東条御厨とみえ、源頼朝伊勢神宮に寄進し、外宮権禰宜會賀生倫が給主となった[1]。当地の平安時代における在地領主長狭国造、あるいは忠常流上総氏の流れを汲む長狭氏であったが、治承4年(1180年)に長狭六郎常伴が討たれ[2]、同族とされる東条秋則が代わって地頭となった。日蓮は、弘安2年(1279年)の書状(聖人御難事)に「安房国長狭郡之内東条の郷、今は郡也、天照大神の御くりや、右大将家の立て給いし日本第二のみくりや、今は日本第一なり」と記している。

なお、嘉慶2年(1388年)には円覚寺造営棟別銭が賦課されている。

脚注

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  1. ^ 『吾妻鏡』寿永3年5月3日条(4月16日に改元しているが『吾妻鏡』にある「寄進状」は寿永三年とする)
  2. ^ 『吾妻鏡』治承4年9月3日条

参考文献

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  • 小笠原長和 編『千葉県の地名』 平凡社、1996年、ISBN 4-582-49012-3、1162-1163頁

関連項目

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