東虢(とうかく)は、西周初期の重要な諸侯国。
周の武王が殷を滅ぼすと、周の文王の2人の弟を虢の国君に封じた。その中で虢叔が封じられた雍地を西虢、虢仲が封じられた制地(現在の河南省鄭州市滎陽市)を東虢と呼ばれた[注 1]。この両諸侯国は周王室の東西両面の屏障として作用した。
紀元前767年、東虢は鄭によって滅亡した[1]。
- 虢仲
- 虢恵叔大林 - 《虢叔旅鐘》に見える。
- 虢叔旅 - 虢恵叔の子。《虢叔旅鐘》に見える。
- ^ 一節では虢仲が封じられた雍地が西虢、虢叔が封じられた制地が東虢と呼ばれたと言われている。