桂宮盛仁親王
桂宮盛仁親王 | |
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桂宮 | |
続柄 | 光格天皇第4皇子 |
身位 | 無品 親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 | 文化7年6月27日(1810年7月28日) 山城国 |
死去 | 文化8年5月17日(1811年7月7日) 山城国 |
埋葬 | 不明 不明 |
配偶者 | なし |
子女 | 養子:桂宮節仁親王(第11代桂宮) |
父親 | 実父:光格天皇(第119代天皇) 養父:京極宮公仁親王(第9代京極宮(桂宮)) |
母親 | 菅原和子(東坊城益良の娘) |
桂宮盛仁親王(かつらのみや たけひとしんのう、文化7年6月27日(1810年7月28日) - 文化8年5月17日(1811年7月7日))は、江戸時代後期の日本の皇族。世襲親王家の桂宮第10代当主。光格天皇の第四皇子。母は東坊城益良の女の菅原和子。幼称は磐宮(いわのみや)。
文化7年(1810年)9月に父の光格天皇の命で京極宮を継承し、桂宮の宮号を賜る。文化8年(1811年)5月16日親王宣下を受け、盛仁と命名されるが、5月17日薨去。1歳。法名は正覚院。