桜井奎夫
桜井 奎夫(櫻井、さくらい けいお、1907年(明治40年)10月20日[1] - 1991年(平成3年)12月23日[2])は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]長崎県[注 1]南高来郡、現在の島原市出身[2]。1932年(昭和7年)早稲田大学文学部英文科を卒業[2][3]。
新潟県立相川高等学校[注 2]教諭、新潟県立巻高等学校教諭、新潟県立新潟南高等学校教諭などを務めた[3]。労働運動に加わり、新潟県教職員組合執行委員長、新潟県全官公庁労働組合協議会長[3]、日教組北陸協議会会長[1]に就任。
1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で新潟県第1区から左派社会党公認で出馬して落選[4]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙に出馬して初当選し[5]、以後1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙まで再選され[5]、衆議院議員に連続3期在任した[2][3]。この間、離島振興対策審議会委員、日本社会党新潟市支部長、同新潟県連顧問、同学生対策副部長、同政策審議会文教部長、同科学技術特別委員会副委員長、同地盤沈下対策特別委員会事務局長などを務めた[3]。その後、第30回総選挙まで連続2回立候補したがいずれも次点で落選した[6]。
その他、社会党新潟県本部執行委員長(1961年-1965年)[2]、中央労働災害防止協会理事[3]を務めた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ株式会社、1994年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。