正常化

正常化(せいじょうか)とは、より正常な状態にして行くあらゆる過程のこと。典型的には、何らかの秩序やルールがある状態にしていくこと、あるいは、異常な状態から回復すること。様々な領域で特定の意味を有する。政治思想などの問題では、何をもって正常とするかでしばしば対立が起こる。

国会における正常化

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国会で審議が止まった状態から復帰すること。与党強行採決醜聞、野党の審議拒否などが「異常」の主たる原因となる。

外交における正常化

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ある国家を正式に承認し、正式に政府間レベルでの国交を樹立して正常な国交関係を開始して行くことを指す。または、戦争や革命などで不正常な国交関係となってしまった国家との間で正式に政府間レベルでの国交を回復し、正常な国交関係を開始して行くことを指す。

教育における正常化

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大学紛争における正常化(1960~70年代)

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1960年代末期に全国の大学で全共闘運動の高揚に伴い、学生が大学当局と制度や教育のあり方を巡って対立し、ストライキや集団交渉(団交)のために授業や研究活動が停止する事例が相次いだ(大学紛争)。この異常事態に対して、学生側が大学当局と合意の上和解し、授業や研究活動が再開されることを「正常化」と呼んだ。1969年に制定された大学の運営に関する臨時措置法にも「大学における教育及び研究の正常な実施」(第1条)という表現が見られる。

こうした「正常化」は、全共闘と対立する日本民主青年同盟や学生運動に消極的な学生(いわゆる「ノンポリ学生」)の主導で行われることが多かったため、全共闘や新左翼セクトの側からは「正常化」という言葉は軽蔑・揶揄的なニュアンスで用いられた。

1970年代に入ると学生運動は徐々に下火になり、大部分の大学が「正常化」されたため、この言葉が使用されることは次第になくなった。

戦前教育回帰論における正常化(2000年代)

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戦後教育を「異常」とする立場から1947年以前への復帰が、主に保守右翼によって主張される。古くは1973年自由民主党の若手右派議員で結成された青嵐会の趣意の中に「国民道義の高揚を図るため、物質万能の風潮を改め、教育の正常化を断行する。」という一節があるが、こうした主張が論壇などの中で目立つようになってきたのは2000年代になってからである。一例としては、中西輝政編『教育正常化への道 英国教育調査報告』(2005年、PHP研究所)など。現実的な改革論ではない場合が多く、戦後民主主義教育をイデオロギー的に全否定すべき存在と認識しているために「正常化」の語を使っていると言える。従って、「異常」とされた側からは「弾圧」「民主主義の否定」と批判される場合が多い。

中西の編著は自由民主党民主党議員がイギリスサッチャー政権の教育政策を範として渡英した「英国教育調査団」の報告をまとめたものだが、安倍晋三も調査団に名を連ねていた。安倍政権教育基本法改正を強行したのは、教育正常化の強い意欲があったからとされる。

具体的な内容としては、次が挙げられる。

ノーマライゼイション

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精神障害知的障害身体障害の人たちを実社会・職場・家庭から排除することなく彼らに対する理解や配慮を深めたり社会整備をすることによって脱施設化させていき、そうすることによって彼らと共に生活することこそ人類のあるべき姿であるとする1960年代から欧米で支配的となった社会福祉の概念。日本語訳すると紛れもなく「正常化」であるが、カタカナ語の「ノーマライゼーション」で表記されることが多い。

その他の「正常化」事例

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関連項目

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