池園哲太郎

池園 哲太郎(いけぞの てつたろう、1888年明治21年)9月2日[1] - 没年不詳)は、東京市区長慶應義塾大学教授

経歴

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福岡県出身。1911年(明治44年)、立教大学文科を卒業[2]1916年大正5年)からアメリカ合衆国に留学し、1918年(大正7年)にコロンビア大学文科を卒業し、1919年(大正8年)にゼネラル神学院とニューヨーク大学文科を卒業し、修士号を得た[2]。帰国後、慶應義塾大学教授を経て、東京市に入り、社会教育課長を務めた。1931年(昭和6年)1月に浅草区長となり[3]淀橋区長、豊島区長、下谷区長を歴任した[4]

その他、大日本連合青年団嘱託、東京市連合青年団嘱託を務めた[2]

その後、仙台市助役を務めた[5]

脚注

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  1. ^ 日本官界名鑑 1936, p. イ24.
  2. ^ a b c 人事興信録 1939, p. イ133.
  3. ^ 『立教大学新聞 第95号』 1931年(昭和6年)1月22日
  4. ^ 人事興信録 1943, p. イ111.
  5. ^ 『仙台市史 資料編8 近代現代4』仙台市、2006年、p.7

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。 
  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十二年版』日本官界情報社、1936年。