池田浚吉
池田 浚吉 | |
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生誕 | 1893年2月20日 日本 福岡県 |
死没 | 1948年3月2日(55歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
池田 浚吉(いけだ しゅんきち、1893年(明治26年)2月20日[1] - 1948年(昭和23年)3月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
[編集]1893年(明治26年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第37期卒業[1]。1936年(昭和11年)8月に陸軍省兵務局課員となり[2]、1937年(昭和12年)11月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に野戦重砲兵第5連隊長に就任[2]。1939年(昭和14年)1月に第7師団参謀長を経て[2]、1940年(昭和15年)4月に陸軍野戦砲兵学校教官となった[2]。
同年8月1日に陸軍少将進級と同時に陸軍野戦砲兵学校幹事に着任[1][2]。1941年(昭和16年)4月10日に砲兵監部附となり[1]、8月12日に東部軍砲兵隊長を経て[1]、1942年(昭和17年)3月2日に陸軍野戦砲兵学校長に転じ[1]、1943年(昭和18年)10月29日に陸軍中将に進級[2]。1944年(昭和19年)3月4日に第35師団長(第2方面軍・第2軍)に親補され[1]、ニューギニア戦線に出征[1]。フォーゲルコップ半島・サンサポールで連合軍に執拗な攻撃を行い[1]、敢闘した[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。