沈瑩
沈 瑩(しん えい、? - 280年)は、中国三国時代の呉の武将。
略歴
[編集]晋が呉に侵攻し、瞬く間に荊州が制圧されると、孫晧は張悌・沈瑩・孫震らに命じ、三万の兵を率いて晋軍を迎撃させた。迎撃方針に関して、長江北岸に渡り決戦を挑もうとする張悌に対し、沈瑩は牛渚に留まり渡河してきた晋軍を叩くべきだと主張したが、聞き入れられなかった。
晋軍が長江北岸に至ると、沈瑩は「青巾兵」と号す丹陽の精兵5千を率い、3度にわたって晋軍に攻撃を仕掛けたが、撃ち破ることができなかった。また呉軍が苦戦したため、晋の降兵が後方で蜂起してしまい、これにより呉軍は混乱をきたすことになった。そこへ晋軍の総攻撃を受けたため、ひとたまりもなく壊滅してしまった。沈瑩は張悌らと共に晋軍の捕虜となり斬首された。
著書に『臨海水土異物志』がある[1]。同書にある「夷洲」は、現在の台湾に比定されており、台湾に関する最も古い文献の一つである[2]。
小説『三国志演義』では、呉の左将軍として牛渚で晋軍との決戦に及び、晋の周旨に討ち取られている。
脚注
[編集]- ^ 『隋書』経籍志
- ^ 夷洲についての記述:「夷洲は臨海郡の東南二千里にあり、土地に霜や雪がなく、草木も死なない。四方は山と谷である。人が皆、髪を剃り、耳たぶに穴を開けているが、女性は耳に穴を開けない。土地が肥沃で、元から五穀(麻、キビ、アワ、麦、豆)が生えていて、また魚肉も多い。犬は尾が短く、のろの尾みたいである。この異民族の舅・姑・子・嫁は一つの大きな寝床で眠り、ほとんどお互いを避けようとしない。土地に銅鉄があるが、ただ戦闘においてシカの角を矛として使い、摩礪青石で矢じりをつくる。生の魚肉を取り、大きな瓦器の中に塩を入れ混ぜて蓄え、一カ月と数日を経て、それをご馳走と思い食べる。」