浦口鉄男
浦口 鉄男(うらぐち てつお、1906年(明治39年)1月12日[1] - 2005年(平成17年)4月2日[2])は、北海道出身の政治家(衆議院議員)、実業家、右翼活動家。衆議院当選1回。父は浦口亀太郎。
経歴
[編集]1925年、北海道庁立小樽商業学校(のち北海道小樽商業高等学校)卒[3]。日本銀行小樽支店、東邦火災保険(のち日動火災保険、現・東京海上日動火災保険)に勤務し[1][3]、『漫画タイムス』を創刊し、社長となる[1][3]。八紘社常任監査役、日本滑石工業取締役を務める[3]。
立憲養正會公認で1946年の第22回総選挙に北海道1区(大選挙区制限連記制)、1947年の第23回総選挙に北海道1区から立候補するがいずれも次点落選。1949年の第24回総選挙で初当選。立憲養正會唯一の当選者だったので、他のミニ政党などと院内会派「公正倶楽部」、次いで「第三倶楽部」を組織した。
国会では基本的に野党として行動。議長指名では自分に投票し、首班指名では白票を投じた。1950年3月8日の外務委員会では、北方領土は日本固有の領土であるのに、ロシヤ(ソ連)によって住民が追われたのはおかしいと追及。また、破壊活動防止法には原案は棄権、修正可決された案には反対票を投じた。
1952年の第25回総選挙で落選し、政界引退。その後、立憲養正會は国政選挙において当選者を出していない。
1989年〜1997年、札幌彫刻美術館友の会会長。晩年は日本船舶振興会の元老を務めていた。
このほか北海道オブラート工業社長[3]、共同信用組合常任理事[1]、札幌中央卸売市場開設運営協議会会長などを務めた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大衆人事録』第19版、東日本篇、帝国秘密探偵社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。