渡辺照宏

渡辺 照宏
人物情報
生誕 (1907-02-10) 1907年2月10日
日本の旗 日本東京都
死没 1977年12月27日(1977-12-27)(70歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 渡辺照敬(編集者)
渡辺重朗(哲学者)
渡邉真観(書家)
学問
研究分野 仏教学
研究機関 智山専門学校民族研究所九州大学東洋大学
学位 文学博士
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渡辺 照宏(わたなべ しょうこう、1907年2月10日 - 1977年12月27日)は、日本の仏教学者

経歴

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出生から修学期

1907年、成田山東京別院深川不動尊監院渡辺照叡の子として生まれた。東京帝国大学文学部インド哲学科で学び、1930年3月に卒業。卒業と同時にドイツに留学し、エルンスト・ロイマンErnst Leumann)らに師事。1933年5月に帰国。東京帝国大学大学院に進み、1935年3月に修了。

仏教学者として

1935年4月、智山専門学校(現:大正大学)教授に就いた(1943年3月まで)。1943年9月、文部省民族研究所所員となった。

戦後、民族研究所は廃止され、1946年4月から連合国軍最高司令官総司令部民間情報局宗教調査課に勤務(1948年3月まで)。1948年2月に発病し、その後も闘病生活を送りつつ研究と著作を続けた。1948年4月、九州大学文学部助教授となったが、病気療養中のため赴任はしなかった(1953年3月まで)[1]。1956年4月から1969年3月、東洋大学文学部教授を務めた。1962年、学位論文『摂真実論並びに釈の研究』を東洋大学に提出して文学博士号を取得[2]。1975年10月より、成田山仏教研究所参与・理事・主席研究所員。1977年に死去。

研究内容・業績

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インド哲学仏教学を専攻。語学にも非凡な才能をあらわした。

1948年2月に発病し、以後長く闘病生活を送った。『私の読書法』(岩波新書 1960)の収録エッセイに、病床での読書の様子がしのばれる。弟子の一人宮坂宥勝の追悼評伝が『密教への誘い』にある。

家族・親族

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著作

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著書
  • 維摩経講話』河出書房)1955
  • 『佛教』岩波新書 1956
    • 第2版 1974
  • 『仏教のあゆみ:インド・中国篇』大法輪閣 1957
    • 新版 1977年
  • 『日本の仏教』岩波新書 1958
  • 『死後の世界』岩波新書 1959
  • 『外国語の学び方』岩波新書 1962
  • 仏像百態』淡交新社 1964
  • 『仏教女性物語』河出書房新社 1965
    • 改題新版『釈尊をめぐる女性たち』大法輪閣 1976
  • 『愛と平和の象徴:弥勒経』(現代人の仏教 8) 筑摩書房 1966
    • 新版 1975年
  • 『新釈尊伝』大法輪閣 1966
    • 新版 1990年
    • 文庫化 ちくま学芸文庫 2005
  • 『お経の話』岩波新書 1967
  • 『日本仏教のこころ』(日本の仏教 15) 筑摩書房 1967
  • 『仏教を知るために:仏教入門随想集』大法輪閣 1974
    • 新版 1982
  • 不動明王朝日選書 1975
  • 南無大師遍照金剛成田山新勝寺成田山仏教研究所 1976
  • 法華経物語』大法輪閣 1977
    • 文庫化 岩波現代文庫 2014
  • 『渡辺照宏 仏教学論集』筑摩書房 1982
著作集
  • 『渡辺照宏著作集』(全8巻) 筑摩書房 1982

1巻『インドの思想』  2巻『涅槃への道 仏陀の入滅』  3巻『弥勒経 愛と平和の象徴』  4巻『日本仏教のこころ』 5巻『仏教聖典 1 法句経〈真理のことば〉・スッタニパータほか』 6巻『仏教聖典 2 般若心経金剛般若経維摩経ほか』 7巻『仏教聖典 3 正理一滴論法上釈和訳ほか』 8巻『仏教聖典 4 中論・唯識二十論・唯識三十頌ほか』

共著・編著
訳書
論文

脚注

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  1. ^ 『九州大学文学部90年の歩み』
  2. ^ CiNii(学位論文)