滋野井実全
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄13年4月5日(1700年5月23日) |
死没 | 享保20年10月20日(1735年12月4日) |
官位 | 従三位、権中納言 |
主君 | 東山天皇→中御門天皇→桜町天皇 |
氏族 | 滋野井家 |
父母 | 父:滋野井公澄、母:家女房 |
兄弟 | 実全、実彦、堀河冬輔室、直子(京極宮文仁親王室) |
妻 | 家女房 |
子 | 公麗、植松幸雅正室 |
滋野井 実全(しげのい さねまさ)は、江戸時代中期の公卿。官位は従三位・権中納言。
経歴
[編集]3歳で叙爵を受け、宝永4年(1707年)に元服して従五位上侍従に任じられる。その後、昭仁親王の立太子と共に春宮亮に任じられ、享保18年(1733年)には参議に任じられ、翌年には従三位に叙せられる。享保20年(1735年)、皇太子昭仁親王が即位して桜町天皇となると、実全も権中納言に任命された。だが、間もなく病に倒れて35歳で薨去。
父と同様に有職故実に詳しく、皇太子に近侍していたために、立太子や皇太子元服に関する記録を多く残している。