(かん、けん)は、歴代中華王朝において、一部の行政機関、官職、地方区分の名についた接尾語である。日本では奈良時代に地方区分である令制国の一部に付けられた。

歴史

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機関では五監欽天監中国語版、官名では殿中監太監中国語版が該当する。代では機関の長官を大監・太監・判監事、あるいは単に監、副長官を少監や同判監事とそれぞれ称した。

宋代ではあるいはに相当する行政区画としても存在し、荊湖南路中国語版桂陽監中国語版(現在の湖南省郴州市桂陽県)など軍事面での要衝や重要資源の産地に置かれた。長官は知監事あるいは知監、副長官は同知監事と称した。

日本においては奈良時代離宮吉野宮珍努宮)の存在する特別な行政区画として置かれ、芳野監和泉監が該当した[1]。後に芳野監は大和国天平12年(740年)に和泉監は河内国にそれぞれ併合されたが、天平勝宝9歳(757年)に河内国から旧和泉監の区域が分割されて和泉国が置かれた[1]。また、大宰府の第三等官として大少の監が置かれ、大監は正六位下、少監は従六位に相当した[1]

出典

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  1. ^ a b c 』 - コトバンク