真滝村
またきむら 真滝村 | |
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廃止日 | 1948年4月1日 |
廃止理由 | 新設合併 真滝村、一関町、山目町、中里村 → 一関市 |
現在の自治体 | 一関市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 西磐井郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 53.53 km2. |
総人口 | 5,731人 (『岩手県町村合併誌』、) |
隣接自治体 | 岩手県:西磐井郡:一関町、中里村、弥栄村、金沢村、東磐井郡:舞川村、門崎村 宮城県:栗原郡:萩野村 |
真滝村役場 | |
所在地 | 岩手県西磐井郡真滝村狐禅寺字小倉沢 (現:岩手県一関市狐禅寺字小倉沢100-1) |
座標 | 北緯38度56分23秒 東経141度10分48秒 / 北緯38.93964度 東経141.17994度座標: 北緯38度56分23秒 東経141度10分48秒 / 北緯38.93964度 東経141.17994度 |
ウィキプロジェクト |
真滝村(またきむら)は、1948年(昭和23年)まで岩手県西磐井郡にあった村。現在の一関市真滝地区(真柴・滝沢・狐禅寺・三関など)にあたる。村会で村名を決するにあたり、各地区の頭文字を取り「真孤滝村」との案が有ったが、呼びにくいので「真滝村」と命名した[1]。
地理
[編集]自然
[編集]沿革
[編集]- 1875年(明治8年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、鬼死骸村と牧沢村が合併して真柴村となり、一関村・二関村・三関村が合併して一関村となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、真柴村・滝沢村・狐禅寺村および一関村のうち旧三関村域が合併して真滝村が発足。
- 1890年(明治23年)東北本線開通
- 1898年(明治31年)12月 - 新築役場竣工
- 1907年(明治40年)4月1日 - 真滝駐在所設置(三関)
- 1912年(大正元年)4月1日 - 消防組の組織
- 1925年(大正14年) - 大船渡線(一ノ関~摺沢間)開通、真滝駅開業、
- 1947年(昭和22年)3月10日 - 真滝中学校創立
- 1948年(昭和23年)3月10日 - 真滝農業協同組合設立総会
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 一関町・山目町・中里村と合併して一関市となる。
経済
[編集]第一次産業
[編集]藩政時代より紙すきが盛んであり、昭和13年真滝駅前に紙市が立った。真滝紙市は毎月4,14,24日に生産者仲買人20人位で賑わった。昭和27年ころまで続いた。[4]
職業 | 農業 | 鉱業 | 工業 | 商業 | 交通業 | 公務自由業 | 家事使用人 | 其他の諸業 | 無職 | 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
昭和18年 | 540 | 75 | 2 | 15 | 10 | 40 | 0 | 67 | 0 | 749 |
昭和19年 | 560 | 80 | 2 | 14 | 12 | 45 | 0 | 146 | 0 | 859 |
昭和20年 | 600 | 123 | 3 | 13 | 17 | 50 | 0 | 153 | 0 | 959 |
昭和21年 | 617 | 140 | 3 | 13 | 17 | 52 | 0 | 148 | 0 | 990 |
昭和22年 | 640 | 142 | 5 | 13 | 17 | 59 | 0 | 120 | 0 | 996 |
行政
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 板橋渉 | 1889年(明治22年)6月13日 | 1893年(明治26年)4月1日 | 1期 |
2 | 熱海懿 | 1893年(明治26年)7月1日 | 不明 | 8期 |
3 | 渡辺養三郎 | 1921年(大正10年)8月23日 | 1923年(大正12年)12月16日 | 1期 |
4 | 小野寺登 | 1922年(大正13年)1月16日 | 1928年(昭和3年)3月28日 | 1期 |
5 | 渡辺養三郎 | 1928年(昭和3年)3月29日 | 1935年(昭和10年)10月11日 | 1期 |
6 | 佐々木隆之進 | 1935年(昭和10年)10月16日 | 1939年(昭和14年)10月15日 | 1期 |
7 | 小野寺登 | 1939年(昭和14年)10月16日 | 1943年(昭和18年)10月15日 | 1期 |
8 | 佐々木隆之進 | 1943年(昭和18年)10月25日 | 1946年(昭和21年)7月18日 | 1期 |
9 | 佐藤勘治 | 1946年(昭和21年)7月19日 | 1947年(昭和22年)2月12日 | 1期 |
10 | 石川佐助 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1948年(昭和23年)3月31日 | 1期 |
警察
[編集]真滝村は一関警察署の直轄区域だったが、1907年(明治40年)4月1日に真滝駐在所が設けられた。(明治40年岩手県告示第十五号)[7]
教育
[編集]小学校
[編集]1872年(明治5年)の学制発布時、村塾を公立学校と認めた[8]。
- 狐禅寺塾 笠原三安教授
- 滝沢塾 佐々木某教授
- 鬼死骸熟 新沼隆教授
- 牧沢塾 伊藤清徳教授
- 第八大学区第二十一中学区 狐禅寺小学校 (修業年限四ヶ年) 西光寺
- 第八大学区第二十一中学区 滝沢小学校 (修業年限四ヶ年) 長寿寺
- 第八大学区第二十一中学区 鬼死骸小学校 (修業年限四ヶ年) 新沼隆宅
- 第八大学区第二十一中学区 牧沢小学校 (修業年限四ヶ年)
- 公立狐禅寺小学校
- 公立滝沢小学校
- 公立真柴小学校
(修業年限初等科三年、中等科四ヶ年、高等科二ヶ年) 本村には中等科を置かざるも随意修るものありたり
1886年(明治19年)小学校令発布、翌年より実施[11]。
- 狐禅寺尋常小学校 公文書の誤記にて尋常小学校の指定(修業年限三年)
- 滝沢簡易小学 簡易小学は「校」の字は無きを正 (修業年限三年)
- 真柴簡易小学
- 狐禅寺尋常小学校 (修業年限四ヶ年)
- 滝沢尋常小学校
- 真柴尋常小学校
中学校
[編集]- 真滝村立真滝中学校
- 真滝村立狐禅寺中学校
交通
[編集]鉄道
[編集]- 国鉄
- 大船渡線:真滝駅
- 東北本線 - 駅なし
道路
[編集]郵便
[編集]- 1933年(昭和8年)3月16日 蜂谷富之助(初代郵便局長)の届出、許可を受け
真滝村大字滝沢字館下8-2に真瀧郵便取扱所を開業[13]
信仰
[編集]神社
[編集]- 滝神社 真滝村社、旧滝沢村村社
- 白山神社 旧三関村村社
- 鹿島神社 旧鬼死骸村社
- 稲荷神社 旧弧禅寺村社
- 八幡神社 旧牧沢村社
寺院
[編集]出身有名人
[編集]政治家
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 復刻真瀧村志 2003年 P.10
- ^ a b 高橋嘉太郎『岩手県下之町村』岩手毎日新聞社出版部、1925年。doi:10.11501/1020748。
- ^ “協議会案内”. 真柴市民センター. 2023年8月2日閲覧。
- ^ 『真滝駅五十年』p.7
- ^ 一関市史第4巻 1977年 P.408
- ^ 一関市史第4巻 1977年 P.405-406
- ^ 一関市史第4巻 1977年 P.410
- ^ 復刻真瀧村志 2003年 P.73
- ^ 復刻真瀧村志 2003年 P.74
- ^ 復刻真瀧村志 2003年 P.74
- ^ 復刻真瀧村志 2003年 P.75
- ^ 復刻真瀧村志 2003年 P.75
- ^ 一関市史第4巻 1977年 P.443
- ^ 復刻真瀧村志 2003年 P.115-127
- ^ 復刻真瀧村志 2003年 P.115-116
参考文献
[編集]- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957年)
- 『復刻真瀧村志』真滝村志史復刻刊行委員会 一関プリント社出版部、2003年6月10日
- 『真滝駅五十年』真滝駅開業50周年記念祝賀協賛会、1975年9月13日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 岩手県西磐井郡真滝村 (03B0100007) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ