石川成之
時代 | 江戸時代(幕末) - 明治時代 |
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生誕 | 安政2年6月24日(1855年8月6日) |
死没 | 明治11年(1878年)6月21日 |
改名 | 鐘七郎(幼名)→成之 |
別名 | 宗十郎(通称) |
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 |
官位 | 従五位下、日向守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢亀山藩主→亀山藩知事 |
氏族 | 石川氏 |
父母 | 父:石川総紀、養父:石川総脩 |
兄弟 | 森川俊徳、総脩、成之 |
子 | 養子:成徳 |
石川 成之(いしかわ なりゆき / しげゆき)は、伊勢亀山藩の第11代(最後)の藩主。伊勢亀山藩石川家16代。
生涯
[編集]安政2年(1855年)6月24日、第8代藩主・石川総紀の六男として生まれる。慶応元年(1865年)に兄で第10代藩主の総脩が早世したため、その養子となって家督を継いだ。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、譜代大名のために家臣団が尊王派と佐幕派に分裂して対立し、はじめ旧幕府側に与したが、やがて官軍に恭順した。しかし新政府によって旧幕府に協力した罪を問われ、桑名藩や鳥羽藩への出兵、東征に参加することを余儀なくされている。
明治2年(1869年)の版籍奉還で亀山藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で知藩事職を免職された。明治5年(1872年)に家督を養子の成徳に譲って隠居する。明治11年(1878年)6月21日、父に先立って死去した。享年24。
系譜
[編集]父母
養子
- 石川成徳 ー 石川鶴翁の四男