秋好馨
あきよし かおる 秋好 馨 | |
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本名 | 同じ[1] |
生誕 | 1912年6月27日 日本 東京府(現・ 東京都) |
死没 | 1989年3月25日(76歳没) 日本 神奈川県鎌倉市 |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家、画家 |
活動期間 | 1936年 - 1989年 |
ジャンル | 4コマ漫画 |
代表作 | 『轟先生』 |
秋好 馨(あきよし かおる、1912年6月27日[2] - 1989年3月25日)は、日本の男性漫画家・画家である。東京府(現・東京都)出身。
来歴
[編集]高千穂中学校(旧制)在学中に、肺結核で2年間休学。その間、『アサヒグラフ』の漫画欄に投稿をしたことがきっかけとなり、漫画家堤寒三の弟子になる[2]。
昭和11年(1936年)、デビュー作品『フレッシュマン新童君』を『東京朝日新聞』朝刊に掲載。翌12年(1937年)、「新漫画派集団」(のちの「漫画集団」)に入る。
昭和16年(1941年)[2][3][注釈 1]、近藤日出造の主宰する雑誌『漫画』で『轟先生』を連載し、好評を博す。昭和24年(1949年)、『夕刊読売』の創刊にあわせて同紙11月27日号で『轟先生』の連載を開始。昭和26年(1951年)9月1日から『読売新聞』朝刊に移動し、病気による連載中断を幾度も挟みながら、昭和48年(1973年)2月27日まで連載を続けた[2][注釈 2]。
その後は、画家として油絵に取り組み、昭和63年(1988年)には個展を開いている[3]。
平成元年(1989年)3月25日、神奈川県鎌倉市の自宅で息を引き取った。死因は、肺がんによる呼吸機能不全[7][5]だった。満76歳没。
作品リスト
[編集]- フレッシュマン新童君
- 轟先生
- 自由のメガネ
- 愚亭賢妻
- ますらを派出夫会
- アワモリ君
- のんきなおじさん
- タラちゃん
- 竹野しんぞう君
- 平野凡太郎
映画化作品
[編集]- 轟先生 (1947)
- 浮世も天国 (1947)
- ますらを派出夫会 (1956)
- 続・ますらを派出夫会 お供は辛いね (1956)
- ますらを派出夫会 粉骨砕身す (1957)
- ますらを派出夫会 男なりゃこそ (1957)
- アワモリ君売出す (1961)
- アワモリ君乾杯! (1961)
- アワモリ君西へ行く (1961)
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「「轟先生」の秋好馨さん死去 本紙連載25年」、読売新聞1989年3月26日付朝刊(東京本社版)、31頁
- ^ a b c d 漫画家人名事典 & 2003年, p. 12.
- ^ a b 「「轟先生」の秋好馨さん死去 本紙連載25年」、読売新聞1989年3月26日付朝刊(東京本社版)、31頁
- ^ 四コマ漫画 & 2009年, p. 98・106.
- ^ a b 東文研アーカイブDB
- ^ 「轟先生さようなら 孤独な作業 励まされ24年 2回の手術機会に引退」、読売新聞1973年11月30日付夕刊(東京本社版)、7頁
- ^ 「秋好馨氏 死去=「轟先生」などの漫画家」、毎日新聞1989年3月27日付朝刊(東京本社版)、27頁
参考文献
[編集]- まんがseek、日外アソシエーツ 編『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 4816917608。
- 清水勲『四コマ漫画 -北斎から「萌え」まで(岩波新書 新赤版 ; 1203)』岩波書店、2009年。ISBN 9784004312031。
- “秋好馨”. 東京文化財研究所アーカイブデータベース. 東京文化財研究所. 2016年5月24日閲覧。
- 「「轟先生」の秋好馨さん死去 本紙連載25年」、読売新聞1989年3月26日付朝刊(東京本社版)、31頁