秋山利恭
秋山 利恭(あきやま としちか、1901年〈明治34年〉6月12日[1] - 1981年〈昭和56年〉3月30日[1][2][3])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(4期)。
経歴
[編集]奈良県出身[1][2][3]。1926年(大正15年)[注 1]東京農業大学を卒業した[2]。
東洋製糖取締役、東和醸造監査役、全国農業共済協会顧問、奈良県花卉園芸組合連合会長、奈良県至誠会顧問、奈良県農地解放者同盟会長などを務めた[2]。
1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から出馬して当選した[2]。その後、26回、28回、第29回総選挙でも当選し、衆議院議員に通算4期在任した[1][2][3]。自由民主党に所属して、自民党奈良連合会顧問、第1次池田内閣大蔵政務次官などを務めた[1][2][3]。
その他、東京農業大学校友会会長、秋山産業会長などを務めた[2]。
1971年(昭和46年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[4][5]。
1981年3月、脳血栓により橿原市の奈良県立医科大学附属病院で死去した[3]。死没日をもって正五位に叙される[6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『新訂 政治家人名事典』13頁では大正13年。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。