稲葉一通
稲葉一通像(臼杵市・月桂寺所蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 天正15年6月13日(1587年7月18日) |
死没 | 寛永18年8月16日(1641年9月20日) |
改名 | 亀(幼名)、一通 |
戒名 | 長江院殿一雲宗岫大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の東禅寺 |
官位 | 従五位下民部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光 |
藩 | 豊後臼杵藩主 |
氏族 | 稲葉氏 |
父母 | 父:稲葉典通 母:丹羽長秀の娘・定光院 |
兄弟 | 一通、本多貞虎室、諏訪忠恒正室、吉田浄元室 |
妻 | 正室:細川忠興の3女・多羅 継室:青山忠俊の娘・寿松院 |
子 | 信通、通綱、通広、通任、溝口宣直正室、日根野雅行室、山崎俊家正室、本多忠隆室 |
稲葉 一通(いなば かずみち)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊後国臼杵藩の第3代藩主。
略歴
[編集]天正15年(1587年)、第2代藩主・稲葉典通の長男として誕生。寛永3年(1626年)、父が死去したため、翌年3月に家督を継いだ。熊本藩2代藩主・加藤忠広の改易の際、木下延俊と共に八代城の在番を務めている。島原の乱後、不穏な政情に備えて九州における国境警備を命じられた。藩政においては城下町の整備や開発、社寺の建設に尽力している。
寛永18年(1641年)8月16日、死去。享年55。跡を長男・信通が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室、継室
子女
一通のみならず、稲葉家は代々有名な戦国武将の娘を妻に迎えている。祖父・貞通は斎藤道三、父・典通は丹羽長秀、自身は細川忠興それぞれの娘が妻となっている。よって一通の子孫たちは彼らの子孫でもある。また昆孫の勧修寺婧子は仁孝天皇の生母であるため、一通の血筋は現在の皇室にも繋がっている(稲葉知通#系譜を参照)。
出典
[編集]- ^ “臼杵八ヶ所霊場”. 臼杵市観光情報協会. 2021年1月1日閲覧。
- ^ “法音寺の縁起について”. 竹林山法音寺. 2021年1月1日閲覧。