結城朝綱
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 明暦2年(1656年) |
別名 | 治部左衛門(通称) |
主君 | 佐竹義宣 |
氏族 | 白河結城氏、和知氏 |
父母 | 結城義顕 和知秀勝 |
子 | 朝誉[注釈 1]、和知朝真、和知朝治 |
結城 朝綱(ゆうき ともつな)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての角館白河家(久保田藩結城家)初代当主。
略歴
[編集]白河結城氏11代当主・結城義顕の嫡男として誕生。幼少期は父・義顕の下で農業をして過ごし、義顕の死後家督を継いだ。豊臣秀吉に改易され没落した白河結城氏の再興を願い、慶長19年(1614年)の大坂の陣で軍功を挙げようとするが、病のため参陣できなかった。
元和2年(1616年)、佐竹義宣に仕え角館に居住し、子孫は久保田藩士となった。
後に母方の伯父の和知秀勝の養子になり和知姓を名乗ったが、子孫が結城姓に復している。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 朝秀、1628年 - 1694年
出典
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