白河義実
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和5年(1619年) |
死没 | 承応2年3月5日(1653年4月2日) |
別名 | 志摩 |
戒名 | 紅樹院殿江山青公大禅定門 |
墓所 | 宮城県仙台市青葉区の法源寺 |
主君 | 伊達政宗、忠宗 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 白河結城氏 |
父母 | 白河義綱、結城義親娘 |
兄弟 | 義実、小峰朝景、小峰朝清、月川院 |
妻 | 針生重信娘高流院 |
子 | 新田義影室、宗広、弥平治 |
白河 義実(しらかわ よしざね)は、江戸時代前期の武士。仙台藩重臣。仙台白河家3代当主。
生涯
[編集]元和5年(1619年)、仙台藩客分・白河義綱の嫡男として誕生した。
寛永16年(1639年)、父の死去に伴い家督を相続すると、正式に仙台藩の家中に列し、一族の家格を与えられて玉造郡下真山で550石を領した。寛永18年(1641年)、針生重信の娘(高流院)を室に迎える。高流院は、万治2年(1659年)に誕生した3代藩主・伊達綱宗の嫡男・亀千代(のちの第4代藩主伊達綱村)の乳母[注釈 1]を拝命し、歌舞伎『伽羅先代萩』の登場人物で、幼君・鶴喜代を守り育て上げた乳母・政岡のモデルの一人となっている。
承応2年(1653年)3月5日、死去。享年35。家督は嫡男・松千代(宗広)が相続した。
系譜
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 養育係であり授乳は担当せず。例えば、片倉喜多(片倉景綱異父姉。鬼庭良直の娘)は仙台藩初代藩主・伊達政宗の「乳母」を拝命しているが、担当内容は養育係であり、授乳を担当したのは増田興隆室(広田宗綱の娘、遠藤高康従姉妹)である。
出典
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出典
[編集]- 『一迫町史』(宮城県栗原郡一迫町、1976年)