船越義房
船越 義房(ふなこし よしふさ[1]、1904年(明治37年)2月4日[2] - 没年不明)は、日本の会社役員、工学博士[1]。熊谷組顧問[3]。旧姓・北垣[1]。
経歴
[編集]島根県能義郡大塚村(現・安来市)出身[1]。北垣仁之助の三男[1]。1925年、松江高等学校理科卒業[4]、同年に鳥取県米子市紺屋町、船越作一郎の養子となる[1]。1929年、東京帝国大学工学部建築学科卒業[1][2]。同大学院にて建築音響学を専攻する[1]。
日本大学講師、教授[3]。藤原工業大学、東京府立高校、成蹊高校各講師、厚生科学研究所員、三星産業技術部長[3]。1952年、日建設計工務常務取締役[2]。1969年、熊谷組入社、同社専務取締役[2]、のちに同社顧問[3]。
人物
[編集]宗教は仏教[1]。趣味は写真、庭球、ゴルフ[3]。住所は東京都杉並区上荻2丁目[3]。
家族・親族
[編集]- 船越家
- 父・作一郎(1885年 - ?、鳥取県多額納税者、日本クローム工業社長) - 住所は鳥取県米子市紺屋町[5][6]。
- 義弟・晋(1908年 - ?、日本クローム工業社長)
- 妻(1904年 - ?、鳥取、船越作一郎の長女)[1][5][6]
- 長男・徹[5](1931年 - 2017年、建築家、工学博士、東京電機大学名誉教授)
- 二男[5]
- 長女、二女[1][5]
- 親戚
著書
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『島根県人名鑑』240頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ a b c d 役員の略歴及び所有株式、熊谷組有価証券報告書。
- ^ a b c d e f 『現代人物事典 出身県別 西日本版』鳥取1071頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月24日閲覧。
- ^ 『松江高等学校一覧 自大正15年至16年』82 - 83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月8日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 下』フ92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月8日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 下』フ89頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 松江高等学校編『松江高等学校一覧 自大正15年至16年』松江高等学校、1922 - 1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 島根県人名鑑刊行会編『島根県人名鑑』山陰新報社、1953年。
- 『現代人物事典 出身県別 西日本版』サン・データ・システム、1980年。