蒲魯虎
蒲魯虎(ブルフ、? - 1139年)は、金の皇族。漢名は宗磐。第2代皇帝の太宗呉乞買の長男。
経歴
[編集]元来、太宗の長男である蒲魯虎は皇太子に指定されるべき人物であり、太宗もその意向を持っていたが、女真族古来の合議制(モンゴルのクリルタイに類する)でそれは叶わなかった。まだ父が在命中に、従兄の子の合剌(後の熙宗)の太子指定に、従叔父の撻懶(盈歌の子)と共に猛反対し、賛成者の従兄の斡本(宗幹、太祖の庶長子で、海陵王の父)と対決したという。また蒲魯虎は、族父の撻懶と南宋の秦檜と連絡を取り合って自分の権力を把握することに全力を注いだという。それに反対する晋王粘没喝(宗翰)・瀋王斡啜(宗弼、斡本の異母弟)らとは対決を繰り返した。
劉豫の斉国が廃されると、撻懶と組んで、河南・陝西を引き渡すのと引き替えに南宋を臣従させようとした。これが周囲の反感を買い、天眷2年(1139年)7月、兗王訛魯観(宗雋)と共に甥の皇帝熙宗によって処刑された[注釈 1]。
宗室
[編集]妻妾
[編集]兄弟
[編集]男子
[編集]- 阿虎迭
孫娘
[編集]- 完顔重節(蓬萊県主)
関連系図
[編集](追)昭祖 石魯(シル) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(追)景祖 烏古廼(ウクナイ) | 烏骨出(ウクチュ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
劾者(ヘテェ) | (追)世祖 劾里鉢(ヘリンボ) | 劾孫(ヘスン) | (追)粛宗 頗剌淑(ポラシェ) | 阿離合懣 | (追)穆宗 盈歌(インコ) | 習不失 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
撒改(サガイ) | (追)康宗 烏雅束(ウヤス) | (1)太祖 阿骨打(アクダ) 完顔旻 | (2)太宗 呉乞買(ウキマイ) 完顔晟 | 斜也(シエ) 完顔杲 | 撻懶(ダラン) 完顔昌 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
粘没喝(ネメガ) 完顔宗翰 | 謀良虎 完顔宗雄 | (追)徳宗 斡本(オベン) 完顔宗幹 | 斡離不(オリブ) 完顔宗望 | (追)徽宗 繩果(ジェンガ) 完顔宗峻 | 斡啜(オジュ) 完顔宗弼 | (追)睿宗 訛里朶(オリド) 完顏宗輔 | 訛魯観(オルゴン) 完顔宗雋 | 蒲魯虎(ブルフ) 完顔宗磐 | 阿魯補 完顔宗偉 | 阿魯(アル) 完顔宗本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設野馬 | (4)海陵王 迪古乃(テクナイ) 完顔亮 | (3)熙宗 合剌(ホラ) 完顔亶 | (5)世宗 烏禄(ウル) 完顔雍 | 烏帯(ウタイ) 完顔宗言 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
乙卒 完顔秉徳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
原典資料
[編集]- 宗磐本名蒲魯虎。天輔五年,都統杲取中京,宗磐與斡魯、宗翰宗幹皆為之副。天會十年,為國論忽魯勃極烈。熙宗即位,為尚書令,封宋國王。未幾,拜太師,與宗幹、宗翰並領三省事。
- 熙宗優禮宗室,宗翰没後,宗磐日益跋扈。嘗與宗幹爭論於上前,即上表求退。烏野奏曰:「陛下富於春秋,而大臣不協,恐非國家之福。」熙宗因為兩解。宗磐愈驕恣。其後于熙宗前持馬向宗幹,都點檢蕭仲恭呵止之。
- 既而左副元帥撻懶、東京留守宗雋入朝,宗磐陰相黨與,而宗雋遂為右丞相,用事。撻懶屬尊,功多,先薦劉豫,立為齊帝,至是唱議以河南、陝西與宋,使稱臣。熙宗命群臣議,宗室大臣言其不可。宗磐、宗雋助之,卒以與宋。其後宗磐、宗雋、撻懶謀作亂,宗幹、希尹發其事,熙宗下詔誅之。坐與宴飲者,皆貶削決責有差。赦其弟斛魯補等九人,並赦撻懶,出為行台左丞相。
- 皇后生日,宰相諸王妃主命婦入賀。熙宗命去樂,曰:「宗磐等皆近屬,輒構逆謀,情不能樂也。」以黄金合及兩銀鼎獻明德宮太皇太后,並以金合、銀鼎賜宗幹、希尹焉。