藤原清志
ふじわら きよし 藤原 清志 | |
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生誕 | 1960年3月15日(64歳) |
出身校 | 同志社大学工学部機械工学科 |
職業 | 実業家、コンサルタント |
藤原 清志(ふじわら きよし、1960年3月15日 [1] - )は、日本の自動車技術者、実業家、コンサルタント。合同会社Office F Vision代表。元マツダ株式会社代表取締役副社長。
来歴・人物
[編集]岡山県玉野市出身[2]。同志社大学機械工学科卒業後、1982年に東洋工業(現在のマツダ)に入社[3]。開発部門を歩み[4]、2002年に発売された2代目デミオでは開発責任者を担当した[5]。その後、欧州開発部門の副社長や商品企画ビジネス戦略本部長を経て、パワートレイン開発本部長に就任し、2010年に発表されたスカイアクティブ・テクノロジーの開発を牽引した[3]。2016年に取締役に就任し、2018年の副社長昇格後は研究開発のほか、北米事業やグローバル・マーケティング、販売なども統括[4]。2022年から導入が開始された中大型の上級車種「ラージ商品群」の開発を主導した[6]。
2022年6月にマツダを退社[7]。同年7月、合同会社Office F Visionを設立し、コンサルティング事業を開始した[8]。
経歴
[編集]- 1978年 - 岡山県立玉野高等学校卒業[8]。
- 1982年 - 同志社大学機械工学科を卒業し[3]、東洋工業(現在のマツダ)に入社[1]。
- 2003年 - マツダモーターヨーロッパGmbH.副社長[1]。
- 2005年 - 商品企画ビジネス戦略本部長[1]。
- 2007年 - パワートレイン開発本部長[1]。
- 2008年 - 執行役員 パワートレイン開発本部長・パワートレイン企画部長[1]。
- 2009年 - 執行役員 パワートレイン開発本部長[1]。
- 2010年 - 執行役員 商品企画・パワートレイン開発担当[1]。
- 2011年 - 執行役員 商品企画・プログラム開発推進・デザイン担当、コスト革新担当補佐[1]。
- 2012年 - 執行役員 商品企画・プログラム開発推進・デザイン・アセアン戦略推進担当、コスト革新担当補佐[1]。
- 2013年 - 常務執行役員 ビジネス戦略・商品・デザイン・コスト革新担当[1]。
- 2015年 - 常務執行役員 研究開発・コスト革新担当、R&Dリエゾン室長、株式会社マツダE&T代表取締役社長[1]。
- 2016年
- 2017年 - 取締役専務執行役員 研究開発・MDI・コスト革新統括[1]。
- 2018年 - 代表取締役副社長執行役員 社長補佐、北米事業・研究開発・MDI統括[1]。
- 2019年 - 代表取締役副社長執行役員 社長補佐、グローバルマーケティング・販売・カスタマー サービス統括[1]。
- 2021年 - 代表取締役副社長執行役員兼COO(最高執行責任者)、イノベーション・カーボンニュートラル・協業・新事業統括[1]。
- 2022年
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “MAZDA NEWSROOM 役員情報 藤原 清志” (PDF). マツダ株式会社 (2021年6月24日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ “イノベーターズ100インタビュー「マツダ株式会社 藤原清志常務執行役員」”. Innovators 100 Hiroshima (2016年3月25日). 2021年7月8日閲覧。
- ^ a b c “「ロードスターはマツダのものじゃない」藤原副社長に聞くモノづくりの真髄”. フォーブス (2018年12月10日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ a b “マツダの藤原前副社長「明日からは一マツダファンとしてマツダのクルマを応援」”. Response. (2022年6月24日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ “マツダはどこへ向かうのか「我々はシェア2%でいい」マツダ副社長ロングインタビュー”. ベストカー (2020年4月7日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ “マツダ藤原副社長が退任へ 上級SUVの開発主導”. 日本経済新聞. (2022年5月25日) 2022年9月22日閲覧。
- ^ a b “マツダ副社長の急な退任、広がった驚きの声 新体制、トヨタとの関係構築焦点”. 中国新聞. (2022年6月30日) 2022年9月22日閲覧。
- ^ a b c “Office F Vision”. 合同会社Office F Vision. 2022年9月22日閲覧。