蜂須賀正韶
蜂須賀 正韶 はちすか まさあき | |
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生年月日 | 1871年4月27日 (明治4年3月8日) |
出生地 | 日本 阿波国徳島 (現徳島県徳島市) |
没年月日 | 1932年12月31日(61歳没) |
出身校 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ |
称号 | 正二位・勲二等旭日重光章 |
配偶者 | 蜂須賀筆子 |
子女 | 長女・蜂須賀年子 次女・蜂須賀笛子 長男・蜂須賀正氏 |
親族 | 父・蜂須賀茂韶(貴族院議長) 義父・徳川慶喜(征夷大将軍・貴族院議員) 義兄・徳川達孝(貴族院議員) 義弟・徳川圀順(貴族院議長) 義弟・大河内輝耕(貴族院議員) 義弟・四条隆愛(貴族院議員) 義弟・徳川慶久(貴族院議員) 娘婿・松平康春(貴族院議員) 娘婿・松田正之(貴族院議員) |
第9代 貴族院副議長 | |
在任期間 | 1924年1月16日 - 1931年1月16日 |
貴院議長 | 徳川家達 |
在任期間 | 1918年3月20日 - 1932年12月31日 |
蜂須賀 正韶(はちすか まさあき、明治4年3月8日(1871年4月27日) - 昭和7年(1932年)12月31日[1])は、日本の政治家、侯爵。阿波蜂須賀家第17代当主。
徳川家斉の曾孫。
生涯
[編集]阿波徳島藩最後の藩主(第14代)・蜂須賀茂韶の長男として徳島南浜邸に生まれる。幼名は鶴松。
1886年渡英。1890年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ入学、1895年学士号(普通学位)を取得し卒業した[2]。 帰国後、宮内省の式部官兼主猟官、皇后主事などを歴任。
1885年、徳川慶喜四女の筆子と結婚。婚礼や披露宴は礼法の宗家である小笠原家監修のもと、三日間にわたり何千人もの招待客を迎える大規模なものとなった[3]。 1896年、年子が誕生。年子のほかには笛子、小枝子がいる。1903年、長男・正氏誕生。
1918年、父茂韶の死去により、同年3月20日に家督を相続して侯爵を襲爵し[4]、それにともない同日付で貴族院侯爵議員になった[4][5]。1924年1月16日、前任の侯爵黒田長成の勇退を受け、貴族院副議長に就任する。1931年1月15日、麝香間祗候を仰せ付けられた[6]。
息子の正氏を大政治家に育てようと夢見ていたが、実現することなく、脳溢血で死去。享年62。死後には約100万円の負債が残された。
栄典
[編集]- 位階
- 1887年(明治20年)12月24日 - 正五位[7]
- 1897年(明治30年)7月3日 - 従四位[8][9]
- 1903年(明治36年)12月11日 - 正四位[8][10]
- 1915年(大正4年)12月20日 - 従三位[8][11]
- 1918年(大正7年)5月17日 - 正三位[8][12]
- 1926年(大正15年)6月1日 - 従二位[8][13]
- 1932年(昭和7年)12月31日 - 正二位[14]
- 勲章等
- 1914年(大正3年)6月29日 - 勲六等瑞宝章[8][15]
- 1918年(大正7年)5月17日 - 勲五等瑞宝章[8][12]
- 1919年(大正8年)10月25日 - 勲四等瑞宝章[8][16]
- 1920年(大正9年)11月15日 - 銀杯一組[8]
- 1924年(大正13年)2月23日 - 勲三等瑞宝章[8][17]
- 1928年(昭和3年)11月10日 - 金杯一個[8]
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)12月31日 - 昭和六年乃至九年事変従軍記章[20]
- 外国勲章佩用允許
系譜
[編集]- 父:蜂須賀茂韶 - お印は若松
- 母:不詳 - 蜂須賀茂韶の側室
- 嫡母:蜂須賀随子 - 徳川慶篤(水戸藩第10代藩主。徳川慶喜の同母兄)の娘。お印は宝。
- 妻:蜂須賀筆子 - 徳川慶喜(最期の将軍)の四女。お印は折鶴。
脚注
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』21頁。
- ^ "Hachisuka, Masa Aki. (HCSK890MA)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、483頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ a b 『官報』第1688号、大正7年3月22日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
- ^ 『官報』第1212号、昭和6年1月16日。
- ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
- ^ a b c d e f g h i j k 「元貴族院副議長侯爵蜂須賀正韶叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113085400
- ^ 『官報』第4200号「叙任及辞令」1897年7月3日。
- ^ 『官報』第6135号「叙任及辞令」1903年12月12日。
- ^ 『官報』第1017号「叙任及辞令」1915年12月21日。
- ^ a b 『官報』第1736号「叙任及辞令」1918年5月18日。
- ^ 『官報』第4134号「叙任及辞令」1926年6月5日。
- ^ 『官報』第1804号「叙任及辞令」1933年1月7日。
- ^ 『官報』第574号「叙任及辞令」1914年6月30日。
- ^ 『官報』第2169号「叙任及辞令」1919年10月27日。
- ^ 『官報』第3449号「叙任及辞令」1924年2月25日。
- ^ 『官報』第1217号「叙任及辞令」1931年1月22日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 『官報』第3068号「敍任及辞令・二」1937年3月27日。
- ^ 『官報』第7600号「叙任及辞令」1908年10月24日。
- ^ 『官報』第7732号「叙任及辞令」1909年4月8日。
参考文献
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日本の爵位 | ||
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先代 蜂須賀茂韶 | 侯爵 蜂須賀家第2代 1918年 - 1932年 | 次代 蜂須賀正氏 |